ハワイ話(4月30日編その1)
まず「4月29日編」で書き忘れたことをふたつ。チコは成田空港近くのペットホテル付きの駐車場にクルマと一緒に預けました。これがあとでとんでもないことになるとも知らずに・・・。。・゚・(ノД`)・゚・。
あと29日の夕食後、ホテル入口脇のABCストア(ハワイでは一番お馴染みのコンビニ)で翌日の朝食用のパンやミネラルウォーターを買って部屋に帰りました。泊まったホテルは朝食(トースト、シナモンロール、ドーナツとコーヒー、パインジュース程度の軽いモノ)のサービスがあるのですが、30日のオプショナルツアー(アリゾナ記念館とボーフィン・パーク)の集合時間が朝早く、朝食サービスが始まる0630頃にホテルを出なければいけないためにパンを買っておいたのです。
で、30日の朝です。写真はホテルの窓から見たワイキキの夜明け。右手の森は米軍保養施設のフォート・デルーシーです。さて、そんな時間にその買っておいたパン(シナモンロールなど甘い系の菓子パン)で朝食を摂ったのですが、これがめちゃくちゃ甘い。日本人には耐えられないくらいに甘い。甘いモノ好きなカミさんでさえ「甘すぎる」とコボすほどです。まぁともかくそれをミネラルウォーターで胃に流し込んでホテルを出ました。
ホテルを出て集合場所に向かう際に撮ったワイキキ・ゲートウェイホテルの全景。泊まった部屋はこの写真だと建物の右側面に面していました。1階にあるシーフードレストランは、行く前に日本で買ったガイドブックに載っていましたが1度も行きませんでした。(^◇^;)
集合場所はワイキキ・シェラトンホテル1階のバス乗り場。こんなホテルに泊まってみたいものよ(泣)。今回ツアーを利用した日本旅行のツアーデスクもここにあったので、ここには度々足を運びました。
他に4組ほどの日本人観光客と一緒に、日系人のおじさんが運転するマイクロバスでアリゾナ記念館へ。土曜の朝のせいか大行列です。ここでバッグを預けるためカミさんとワタシは、おじさんに連れられていったん行列を離れました。9-11以来、公共施設のセキュリティが厳しくなったためで、この行列から50mほど離れた軽食ブースが集まったテントの中にある手荷物預かり所にカミさんとワタシのバッグを預けました。$3/個也。なおカメラの携帯は可です。他の参加者はバッグを持ってきていなかったので、旅行会社からあらかじめ言われていたのかもしれませんがワタシ達は言われませんでした。とはいえ、実はワタシもこのことは知っていたのですが、ワイキキに戻ってから一度ホテルに戻るのが面倒だったのでバッグを持ってきたのでした。
番号が振られた整理券を受け取って(料金はタダ)施設に入りました。記念館に行く前に見るビデオの上映時間まで約1時間あったので、博物館や土産物屋で時間をツブします。施設内はオーディオガイドの貸し出しがあり、日本語版もあるので借りておきます。施設内の要所要所で解説が聞けますし、何よりもこれがないとこの後見るビデオで何を言ってるのかさっぱりわかりません。で、まずは博物館へ。写真は館内にあった“在りし日の”戦艦USSアリゾナの模型。
もちろん日本海軍による真珠湾攻撃の展示もあります。これは日本海軍空母機動部隊の旗艦を務めた空母「赤城」の1/96模型の、艦上に並べられた艦載機やフィギュア。すんげー良く出来てます。他に91式航空魚雷の実物(もちろん残骸ですが)もありました。最後にミッドウェー海戦の展示もあったのにはちょっと苦笑。やられた展示ばかりでは後味が悪いのでせうか。(^◇^;)
その後パールハーバーとUSSアリゾナについてのビデオを見て、いよいよ連絡船でアリゾナ記念館へ。ガイドのおじさんの助言の通りビデオ上映では出口に近い最前列左端に座ったお陰で、連絡船では当時の泊地がよく見える最前列右端の席を確保。連絡船は海軍の運用だそうで、従って連絡船を動かすのは海軍の軍人さんです。出港してすぐ、隣接して係留され博物館になっている潜水艦USSボーフィン(リンク先は音が出ますのでご注意)が見えます。後ろの橋は泊地があったフォード島への連絡橋です。
連絡船から見た記念館の全景。まぁ絵はがき通りです。壁面の穴はガラス窓ではなく素通しだったんですねぇ。雨の日には来たくない感じ。
記念館から見たUSSアリゾナの3番砲塔基部。海上に突き出た遺物では一番目立つ部分です。艦内から染み出た重油(=亡くなった兵士の涙、なのだそうです)が海面に漂っているのがわかります。
館内に置かれた碑文。意味判りません(爆)。どなたか翻訳プリーズ。
Dedicated to the eternal memory of our gallant shipmates in the USS ARIZONA who gave their lives in action 7 December 1941."From today on the USS ARIZONA will again fly our country's flag just as proudly as she did on the morning of 7 December 1941, I am sure the ARIZONA's crew will know and appreciate what we are doing" Admiral A.W.Radford,USN 7 March 1950.
May god make his face to shine upon them and grant then peace.
館内から見た戦艦USSミズーリ。すぐ隣なのにこの日は行けなかったので翌日行ってきました。手前の海面にはUSSアリゾナの2番砲塔の残骸が見えます。
館内にあるUSSアリゾナとアリゾナ記念館との位置関係を示す図面。この写真ではちょっと判りにくいですが、手前の図で白で示されているのは戦後作った建造物、赤で示された部分は現在海面から露出している部分だそうです。なお館内の突き当たりには犠牲になった兵士の名前が壁一面に書かれた碑がありますが、これを写真に撮るのはちょっと躊躇われたので撮ってません。撮っても文字は読めないでせうし。
4月30日編(その2)に続きます。
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コメント
合ってるかどうかは自信ありませんが・・・(^^;
=====@@@@@=====
1941年12月7日の戦闘で旅立った、戦艦"アリゾナ"とその勇敢な乗員たちを偲ぶために。
「我らの旗が今日再び、1941年12月7日の朝に彼女がしたのと同じくらい誇らしげに、戦艦"アリゾナ"の艦上に翻った。
私は"アリゾナ"の乗員達が、私達が何をしているかを知り、その価値を認めるであろう事を確信している」
米海軍提督 A.W.ラドフォード 1950年3月7日
彼らに神の祝福と安らぎがもたらされん事を。
=====@@@@@=====
てな感じです。
ビッタシじゃないと思うけど、そんなに外れちゃないでしょう。
どんなに悪くてもまぁ、「当らずとも遠からず」くらいにはなってるんじゃないかと(^^;
ンで、こんな時間に何をしてるかって?
ヤフオクの落札者への対応をしてたら、こうなっちまいました(笑)
ブツの件、了解っす(^^)/
投稿: タイラー@出戻り | 2005.05.13 03:41 午前
ありがとうございます~。こういう時には機械翻訳の限界を思い知らされますねぇぇぇぇぇぇ。でも駅前留学する気はありませんけど。
こちらのヤフオク再開は来週末からになりまつ。チコの入院でまたぞろおカネが無くなっちゃいましたので。。・゚・(ノД`)・゚・。
投稿: KWAT@いざ静岡 | 2005.05.13 08:57 午後