ハワイ話(5月1日編その1)
5月1日編も長いので2分割にします。今回は5月1日編(その1)です。
今日は再びパールハーバーへ行き、戦艦ミズーリを見物します。ただし自力で路線バスの旅です。この日は4月30日編(その1)で書いたホテルのテラスでのコンチネンタルブレックファースト(といえば聞こえはいいですが、ベランダに毛が生えたようなところで甘~いシナモンロールやドーナツやトーストなどが供されるというもの)を食べたあと、ホテルの目の前にあるバス停でTheBusを待ちます。20番の「Airport-Pearlridge」行きか42番の「Ewa Beach」行きなら乗り換えナシでパールハーバーに行けるのですが、日本のソレと違ってバス停には時刻表が表示されていません。時刻表は頻繁に変わるので、アラモアナ・センター内にあるホノルル・サテライト・シティホールかバスの車内で手に入れるしかないのです。そんなことは前日に「TheBus 徹底活用ガイド」を買って読むまで知りませんでしたよ(持ってたガイドブックにも載ってたんですがよく読んでませんでしたわ(^◇^;))。
てなわけで、いつ来るか知れないバスを待つことしばし、ようやく42番のバスがやってきました。一人$2を払って乗り込みます。バスは日本では滅多にお目にかかれない連接バスです。面白いので2両目の最後尾に近いシートに座ったのですが、彼の地では年寄りや身障者が前に座るのが暗黙のルールのようで、結果的に正解でした。車内の様子は←こんな感じ。蛇腹があるのが鉄道車輌みたいですが、その蛇腹のところにもシートがあるのが驚きです。
シートがプラスチックの硬いものなので乗り心地は今一つでしたが、パールハーバーまで約1時間、ようやく到着です。急カーブを曲がると1両目が見えるのが面白いです。
これが乗ってきたバス。前面に付いている金属製のラックのようなものは自転車を載せるための「バイク・ラック」です。これは日本のバスでは考えられませんね。
今日も手荷物預かり所に荷物を預けてから再びボーフィン・パークに入ります。展示されているレギュラスIを再び。SSM-N-8レギュラスIは1947年に開発が始まった核巡航ミサイルで、1955年から1964年までの間に潜水艦や巡洋艦、空母に搭載されてアメリカ海軍の核抑止力の一端を担っていました。
ボーフィン・パークの窓口で日本語ツアーガイド付きの戦艦ミズーリのチケットを買います。渡されたのはただのレシート(爆)。もうちょっとなんとかならんのかな。ともかくこれを持ってボーフィン・パークを出て、ミズーリ行きトロリー(ワイキキ・トロリーのお古なんだそうな)に乗り込みます。板張り座席で乗り心地の悪いトロリーでフォード島に渡るのですが、風が素通しなので帽子が飛ばないよう気を付ける必要があります。フォード島は現在もアメリカ海軍基地なので、島に渡る橋の入口に衛兵詰め所がありました。渡っている途中でアリゾナ記念館の向こうに停泊しているフネのほうにカメラを向けたら一緒に乗ってた現地の女性から制止されました。基地内だから、ってことかも知れませんが、アリゾナ記念館の連絡船から撮るのは何も制限がなかったのにな~、とか思いつつ何かあったらヤバイので大人しくカメラを納めました。
10分ほどで戦艦ミズーリに到着。写真は入口にあった『今日は何の日?』ボード。飛行機オタは1960年の項に注目。ソ連上空でF.G.パワーズが乗ったU-2が撃墜された日なんですな。
入口から見た戦艦ミズーリの艦橋付近。左手のスーヴェニアショップ(つまり土産物屋)脇のベンチでガイドさんを待ちます。少し待つとガイドさんがやってきました。現地在住30年の日本人のおじさんで、もう一組のお客さんと一緒に回るのでもうちょっと待っててくれと言われました。
艦橋脇に掲げられた各種勲章(?)や受賞歴。意味が判りません(爆)。そんなもんを見ているうちにもう一組のお客さんが到着。どこかの配管設備会社の社員旅行という風情の、若者が多いグループでした。そのグループにワタシたち夫婦が混ざった形になったのでちょっと居心地が悪かったです。(~。~;)
16in(日本風に言えば40サンチ)主砲の砲弾。後ろに積み上がっているのは薬莢です。これはあちこちで柵になったりベンチになったりと再利用されてました。
艦の上甲板に登って、最初に艦首方面に行きます。振り返って見る主砲と艦橋。迫力ですなぁ。第一砲塔の前にある足場がジャマですが。
続いて艦内旅行。兵員居住区あるベッドと私物のロッカー。昨日観た潜水艦とは比べモノにならない広さです。
上甲板から眺める現役艦船の泊地。このフネは何なんでせう? 詳しい方解説キボン。大きな写真はこちらでつ。
CIC(Combat Information Center)を見物。もっと艦の中央部深いトコにあると思ってたんですが、上甲板レベルにあったのは意外。たださすがに装甲は分厚くて出入口の扉も厚かったです。写真は部屋にあったパソコン。パッカードベル製のただのパソコンですぜダンナ。
3台並んだトマホーク巡航ミサイルのコンソール。上に載ってるCRTは電源が入ってましたが何も映ってませんでした。
中央にある情報ボード。裏側(向こう側)から鏡文字で書き込まれるわけです。現役最後の戦闘航海になった第一次湾岸戦争当時の書き込みがそのまま残っています。
CICを出たらちょうど原潜が出港していきました。「えひめ丸を沈めたグリーンヴィルもここから出港したのです」とガイドのおじさんが言ってました。このガイドさん、アメリカ海軍の記念艦を案内しているのにアメリカ軍を『敵』と呼んでたり、「対岸にあるボーフィンは終戦直前に対馬丸を沈めた潜水艦なので、あとで踏んづけていって下さい」とも言ってました。アメリカ海軍の仕事をしていても心は日本人だぜ、というわけでせうか。しかしワタシはボーフィンが対馬丸を沈めたというのはうかつにも知りませんでした。知ってれば昨日ボーフィンの艦内のどっかを蹴飛ばしてきたのに。(-_-;)
5月1日編(その2)に続きます。
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コメント
3隻の戦闘艦は全部アーレイ・バーク級イージス駆逐艦ですね。ハルナンバーが見えないのと艦後部がはっきり見えないのでブロックがいくつかは分かりませんけど。最近はスプルーアンス級駆逐艦が全滅してしまったのでこいつかペリー級フリゲイト、もしくはイージス巡洋艦しか無いと思っていいでせう(^_^;)
投稿: みほり | 2005.05.30 01:13 午前
をを、重鎮登場ですね(笑)。そですか、こいつらがアーレイ・バーク級なんですか。フネには疎いワタシでも名前くらいは聞いたことがありますよ。今回のハワイ旅行のミリオタ要素はほとんどフネだったので、もうちょっといろいろ知ってたらもっと楽しめただろうな~、と思ってましたですよ。
投稿: KWAT | 2005.05.30 10:41 午後