読書録:「初代総理 伊藤博文」豊田 穣
初代総理 伊藤博文(上)(下)
豊田 穣
講談社文庫
\680(上)・\660(下)
1992年5月15日第1刷発行(上・下とも)
2005年6月11日読了
春先からあちこちのブログを読むのが忙しくて(笑)、読書の時間がずいぶんと減ってしまった。おかげで本書を読むのに3ヶ月も掛かってしまったことよ。(-_-;)
ということで、本書の著者・豊田譲氏は海軍兵学校68期卒でその後パイロットとなり、99艦爆に搭乗して参加した「イ号作戦」で撃墜され連合軍の捕虜となり、帰国後新聞記者を経て作家となって戦記文学を多数著しているので、読書好きなミリオタならご存じの作家ではないだらうか。本書は著者がまだ作家として一本立ちする前から「書くことが長い間の念願であった」と語る伊藤博文伝である。伊藤博文といえば日本の近代化になくてはならない人物で、日本人なら誰でも知っているはず。吉田松陰の松下村塾で薫陶を受け、明治維新の激動期を他の様々な個性の偉人たちと文字通り命を賭して駆け抜け、明治から太平洋戦争敗戦までの日本の基礎を作り上げた伊藤博文の生涯を生き生きと描いている。
で、今この時期にこんな本を読めば当然気になるのは日清戦争以後の時代である。1905年(明治38年)、この年11月に締結された第二次日韓協約に基づいて12月に初代韓国総監となった博文だが、彼自身は日韓併合には消極的であったと伝えられている。著者もまた、博文が暗殺された1909年(明治42年)の始めの頃の描写の中で『博文は韓国の現状が未だ古風で封建性が抜けてないとして、「保護政策を完成するのが妥当である」という説を堅持していた』と書いている。つまり併合より保護国化に積極的であったわけで、韓国(大韓帝国)の外交権を日本が握ることになった第二次日韓協約も博文が韓国李煕皇帝と直接交渉したものである。その後1909年6月に博文は韓国総監を辞しているのであるが、これは日本国内のみならず韓国国内からも(ちなみに著者は、韓国国内で日本に協力していた団体であった一進会は実は日本の御用団体であった、としている)韓国併合すべしという論調が高まってきたため、せめて自分が韓国総監をやっている時には日韓併合をしたくない、という意思があったのだろうとしている。
だが結果として博文は1909年10月26日、満州のハルビン駅頭で韓国人の安重根によって暗殺されるのである。これがために日本政府と軍部はこの事件を大きく扱い、翌1910年(明治43年)8月22日の日韓併合をより押し進めることになり、またそのために博文は後世には日韓併合の責任者とされてしまっている。もし博文がここで生き長らえていても、その後日韓併合がなされていただろうことは間違いないし、そのことによって現在の韓国人の対日感情が少しでも良くなっていたかもしれない、とまでは思えないのはそれが時代の流れだったからだらう。
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コメント
伊藤博文ってーとわしらの世代では千円札の人なんだけど、今時のしとには誰だかわかんないんじゃないかなぁ、なんて思います。
安重根記念館で日本人観光客が、韓国人ガイドに尋ねた。
「安重根って誰ですか?」
韓国人ガイドは少々ムッとして
「伊藤博文を暗殺した我が国の英雄だ!」
件の日本人はしばらく考え込んでからまた尋ねた。
「伊藤博文って誰ですか?」
ジョークとしてNIFにでていた話なんだけど、あながち冗談ではないのかも。
投稿: はほ/~ | 2005.06.13 05:40 午後
むー、そうか我々はすでにそんなトシなんですなぁ。今の教科書に伊藤博文は載っていないのか?(-_-;)
投稿: KWAT | 2005.06.15 01:34 午前
はほ氏>
そのジョーク最高ですね・・・笑っていられないけど(爆)
韓国でそれやってみたい気がするΣ(゚д゚)オイオイ
投稿: みほり | 2005.06.15 10:46 午前
韓国でそれやったらガイドの韓国人に小一時間、戦時中の日本の“悪行”について懇々と諭されますよ。それを何も知らないフリして黙って聞いている自信はワタシにはありませんです。話が始まって3分でブチ切れると思いますです。
投稿: KWAT | 2005.06.15 09:26 午後
黙って聞いておいた後で
「○○ってこういう証拠があって間違いが確認されているんだけど?」という風に一つ一つ論破してあげるってのはいかがでしょうか?(笑)
あ、それじゃ伊藤博文知らないって言えないか(悪趣味)
投稿: みほり | 2005.06.15 10:17 午後
う~ん、日本史に出て来ないわきゃないと思うんだけど、明治から後って駆け足なのは変わってないような気も。
ゆとり教育とか阿呆なことやっちゃったし。
高校あたりだと日本史、選択しなくてもいいんだっけ?
投稿: はほ/~ | 2005.06.15 10:50 午後
オレの高校時代、既に世界史、日本史の選択させられてたから、20年以上前から日本の近現代史を学んでいない日本人は多いと思いますよ。小中で近現代史までやる学校も少ないだろうし、その時代から左巻き日教組先生は多かったはずだし。それでもネットと激しすぎる韓中の反日のお陰で洗脳から逃れてくる人も増えていますね。
投稿: みほり | 2005.06.15 11:41 午後
そうなんですよね~、近現代史はたいてい3学期になっちゃうんで、「このへん教科書読んでおけ~」で終わっちゃうんですよね。学校の歴史教育は現代史から遡って教えるべし、とワタシ的には常々思っとります。日教組の左巻き教育では100%不可能でせうけど。
邪馬台国の場所は九州か畿内か、なんてことは教養の範疇で知らなくても何の差し支えもありませんが、太平洋戦争で日本はどこと戦ったか、なんてことは現代の国際社会を生きる日本人として必須の知識なのではないでせうかね。近現代史は新しすぎて評価の定まっていない事項もたくさんありますが、それはそれでいろんな見方を示して考えさせる、ってのもひとつの教育でせう。
投稿: KWAT | 2005.06.16 10:38 午後
なんと言うか・・・。
私の高校時代も日本史は、たしか維新と明治新政府くらいで終わったような記憶がちらほら。
私の場合は幸い「丸少年」(笑)でしたから、何の問題もありませんでしたが。
そもそも私のころは、従軍慰安婦だの南京大虐殺だのといった言葉自体、出て来なかったように思いますね。
近現代史から遡る方法までする必要はないと思います。
というか、歴史教育は、やはり古いほうから時系列順に教えたほうが、理解し安いと思います。
が、少なくとも、その時期や出土品の年代までがあやふやで諸説頻々の縄文や弥生なんかの古代史についてはもっと少し減らして、平安期~江戸期については大まかな事実関係のみ教えて、近現代史にもっともっともっとウェイトを置くべきでしょう。
「第二次世界大戦について答えなさい」
という設問に、
「日本はアメリカと共に、欧州でドイツと戦った」
なんていうトンチンカンな答えを、平然と胸を張って答える子供はいなくなると思います。
投稿: タイラー | 2005.06.18 12:20 午前
まぁ確かに歴史は時の流れの積み重ねですから、時系列で追っていった方が現実的でせうね。もし1年間で終わらせるとするなら、1学期で神代の昔から江戸時代までやっちゃって、2学期以降は近現代をみっちりと、てな感じでは極端かしらん。
>>「日本はアメリカと共に、欧州でドイツと戦った」
何を読んだのかすぐ判りますね(笑)。フェイクは元ネタがあってこそ。
投稿: KWAT | 2005.06.18 01:09 午前