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2005年8月

2005.08.27

横田AFBオープンハウス“フレンドシップ・フェスティバル2005”

 今夜から空自松島基地航空祭に出掛けるというのに、今さらこないだの日曜に行った米空軍横田基地オープンハウスのレポートなど上げてみたりします。なにしろ最近暑さに負けてプラモ製作がすっかりご無沙汰で、こちらのブログのネタがないんだよ~ん。(^^ゞ



 今年も残暑厳しい時期の8月20日(土)21日(日)の2日間開催となったアメリカ空軍横田基地オープンハウス“フレンドシップ・フェスティバル”。という書き出しは昨年の使い回しなのである(笑)。今年は土曜日が仕事だったのでイヤでも日曜日の出撃となったのであるが、事前に聞いていた展示機情報が思いっきりパッとしないものであったので、さっさと行ってさっさと帰ろうとお昼頃に現地に着いたのであった。もちろん一昨年の戦訓を生かして熱中症対策はバッチリである。

 地上展示機は31機種38機で、機種も機数も昨年より増えたものの、期待していたF/A-18Fのみならず航空自衛隊の戦闘機系の機体もまったく来ておらず(ラストF-1に期待してたのに(´・ω・`)ショボーン)ちょっと寂しい内容であった。とはいえ、MC-130Hと久々登場のU-2Sという、ここ数年来ている怪しい機体もちゃんとあり、空自も横田初登場のE-767とT-7が来ていたりでそれなりにバラエティに富んだものとなっていたのだった。
u-2s_c
 今年の“怪しい機体”シリーズ、まずは9th RW/6th RSのU-2S。尾翼の“Black Cats”マークは健在。横田にU-2が展示されたのは10年振りくらい? 一方、昨年に続き展示されたハークの怪しいバージョンは353rd SOG/1st SOSのMC-130H“Combat Talon II”。機体各部の出っぱりは昨年のMC-130Pを凌ぐ派手さ(笑)。
e-767_a
 警戒航空隊飛行警戒管制隊のE-767は、組織改編後に見たのはお初。横田に降りたのもお初ではないだらうか。新規に制定された部隊マークをようやくゲット。機首両側面のラジオコールナンバー上には、6月にアラスカで開催された「コープサンダー」演習記念マークが描かれていた。もうひとつ空自ネタでお初なのは第11飛行教育団のT-7。一緒にT-3も来ていたので両者の差がよく判って興味深かった。
f-16cj_ww13-5af
 今年のF-16は三沢、オーサン、クンサンの各基地から合計6機(昨年比-2機(笑))が展示された。三沢は35th FW/13th FSのF-16CJが2機(1機は5th AF司令官機)、オーサンは51st FW/36th FSのF-16CGが2機(1機は36th FS隊長機)、クンサンは8th FW/80th FSのF-16C/Dブロック30+各1機である。三沢のF-16CJはCCIP改修後、ワタシ的にはお初であった。
a-10a_os25co02
 今年の51st FW/25th FSのA-10Aは1機が25th FS隊長機。展示の角度が悪くて乗降タラップ格納部扉裏のイラストが撮影しにくいことよ。(-_-;)

ea-6b_nl
 アメリカ海軍/海兵隊からの参加機が少なすぎて寂しいのなんのって。海軍からはNLレターのEA-6B、海兵隊からはVMFA(AW)-121のF/A-18D(N)のみ。海軍のEA-6Bは部隊名が消されていて所属部隊が判らなかったのだが、NLレターなので空軍との統合運用部隊のどれかであらう。海兵隊のF/A-18D(N)は2週間前の千歳基地航空祭にも展示された機体だが、ラダーの塗装のハゲは千歳の時よりさらに酷くなったようだ。早よ塗りなおせや。(^◇^;)
●8月31日追記:EA-6BはVAQ-140所属と判明。ねこすけさん情報ありが㌧!
p-3c
 海上自衛隊から参加の第3航空隊のP-3C、新塗粧になってからワタシ的にお初。ジミになっちまったのぉ(涙)。この機体、尾翼の部隊番号まで消されていたのでクルーの方に「まさか部隊番号まで消すようになってしまったのですか?((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル」と聞いたら「いえ、この機体は整備から出てきたばかりなもので」とのこと。ひと安心ですよPAISUKE兄ィ。(´ー`)フウッ あと第61航空隊のLC-90は、厚木基地以外で展示されるのはけっこう珍しいのではないかと。
ultracruiser
 展示エリアの片隅に銀色の見慣れない機体が。近寄ってみるとやけに小さい。NPO法人 立川航空宇宙博物館が展示した、ホームビルドのウルトラライトプレーン「Ultra Cruiser」という機体なのであった。ULPにしてはしっかりと飛行機してて、言われなきゃ軽飛行機だと思うかも。w(゚O゚)w
c-130e_f
 フライトの方は例によってほとんど見ていないのでよくわからない(爆)。会場に着いて少し経った頃に地元374th AW/36th ASのC-130Eが2機、空挺隊員(?)を降下させていたのを見ただけなのだった。そのうち1機がその後、降りたらすぐに滑走路上でUターンしていたがなんだったのだろうか(笑)。あとATI(Air Transport International)社のDC-8-73(F)が1機、通常業務上がっていった。その他、今年は奥の方の非公開エプロンにたどり着いた途端に追い出しがかかったので(スケジュールより1時間も早い!(-_-;))、結局奥の方は全く見られなかった。

【地上展示機と所属部隊一覧】

【アメリカ空軍】
C-130E(374th AW/36th AS[YJ] )※374th OG司令官機
UH-1N(374th AW/459th AS)
C-21A(374th AW/459th AS)
F-16C[Block30+](8th FW/80th FS[WP] )
F-16D[Block30+](8th FW/80th FS[WP] )
U-2S(9th RW/6th RS)
F-15C(18th WG/44th FS[ZZ] )
F-15D(18th WG/67th FS[ZZ] )
KC-135R(18th WG/909th ARS[ZZ])
E-3B(18th WG/961th AACS[ZZ])
F-16CJ(35th FW/13th FS[WW])※×2機、1機は5th AF司令官機
A-10A(51st FW/25th FS[OS] )※×2機、1機は25th FS隊長機
F-16CG(51st FW/36th FS[OS])※×2機、1機は36th FS隊長機
C-12J(51st FW/55th ALF[OS])
C-5B(60th AMW)
KC-10A(60th AMW)
MC-130H(353rd SOG/1st SOS)

【アメリカ海軍】
EA-6B(VAQ-140[NL])

【アメリカ海兵隊】
F/A-18D(N)(MAG-12/VMFA(AW)-121[VK] )

【アメリカ陸軍】
UH-60A(78AvBn )

【航空自衛隊】
E-767(警戒航空隊飛行警戒管制隊)
C-1(第2輸送航空隊第402飛行隊)
T-4(航空総隊司令部飛行隊)
T-3(第11飛行教育団)
T-7(第11飛行教育団)
U-125A(航空救難団百里救難隊)
UH-60J(航空救難団百里救難隊)
CH-47J(LR)(航空救難団入間ヘリコプター空輸隊)
YS-11FC(飛行点検隊)

【海上自衛隊】
P-3C(第4航空群第3航空隊)
LC-90(第61航空隊)

【陸上自衛隊】
AH-1S(東部方面航空隊第4対戦車ヘリコプター隊)
UH-1J(東部方面航空隊東部方面ヘリコプター隊第1飛行隊)
OH-6D(東部方面航空隊東部方面ヘリコプター隊第1飛行隊)

【日本民間】
Ultra Cruiser(NPO法人 立川航空宇宙博物館)

オマケの写真はこちら

 ということでスケジュールより1時間も早く追い出しがかかったせいで、飛行機展示地区は1時間半ほどしか居られなかったのであるが、それでも日射しの強さにもうヘロヘロ。友好祭地区に戻ってミネラルウォーターを立て続けに2本飲み、売店でカミさんへのお土産を買ったあと、さらに毒々しい色でお馴染みのゲータレードのレモンライム味(色がマトモに見えた(笑))を飲みつつ1400過ぎに会場を撤収。1600時過ぎに帰宅したのであった。しかし不完全燃焼感は否めないわけなのである。来週の松島はなんとかならんかな~。



 ということで、なんとかなったので今夜から松島に行ってきまつ。(`・ω・´) シャキーン 

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2005.08.23

読書録:「真珠湾攻撃」淵田 美津雄

shinjuwan2
真珠湾攻撃
淵田 美津雄
PHP文庫
\533
2001年5月15日第1版第1刷

2005年8月21日読了
 「敗戦記念日に戦記物を読む」企画第2弾。前回はポツダム宣言受諾後の話であったが、今度は開戦時について書かれた本である。本書の著者は言わずと知れた真珠湾攻撃の攻撃隊総指揮官を務めた人物。本書は太平洋戦争の始まりである真珠湾攻撃の、具体的な攻撃方法の立案から攻撃終了までを綴った総指揮官ならではの臨場感溢れる手記である。舞台となったハワイ・オアフ島の真珠湾は、なにしろ3ヶ月前に行ってきたわけなので、文中で描写される攻撃時の様子がその時見てきた風景とオーバーラップしてしまうのである。この攻撃で艦内の火薬庫が大爆発を起こし大破着底、そのまま遺棄された戦艦「アリゾナ」が、今はメモリアルとなって当時のままの姿で残っているわけなのだなぁ、と思うとまた感慨深いものがあるのだった。

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2005.08.16

読書録:「北の川から」野田 知佑

kitanokawakara2
北の川から
野田 知佑
新潮文庫
\400
1997年10月1日発行

2005年8月15日読了

 今年の夏も暑いのである。よって涼しい気分に浸るべくこの本を。巻頭の「アラスカ ノアタック紀行」はまさにそんな気分に浸らせてくれる。アウトドアの実力のある人が、アウトドアの実力のある犬とともに、周囲何千平方キロに人っ子一人いない原野をカヌーで下る、なんて状況は都会暮らしの身には想像すらできない。こういう暮らしをするには、まず全ての現世とのしがらみと欲望を断たないと無理だらうから、自分にはまずできないし、それにウチの犬は外に出たら人のそばから離れない軟弱な愛玩犬なので、そんな場所に一緒に行っても足手まといになるだけだらう(笑)。それだけに激しく憧れてしまうのもまた事実である。

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2005.08.15

富士山はいいですなぁ( ̄ー ̄)

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 とか言いつつ富士山の写真はないわけなのですが(笑)、本日(てゆーか日付的には昨日)お盆休みのさなか富士山麓までドライブしてきましたよ。天気予報はちょっと怪しかったのですが、結果的には「曇り時々晴れ」って感じで結構なドライブ日和でした。
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 富士山麓とはいっても、具体的には「富士スバルランド・ドギーパーク」と「河口湖自動車博物館」なのですが。お盆の渋滞を避けるため家を0600前に出て(お陰で起床は0400(~O~")ファ-アッ)、東名御殿場から篭坂峠を越えるルート。早く出たおかげでほとんど渋滞にハマらず時間が余りまくったので、東富士五湖道路は使わず峠越えをして、山中湖を眺めつつ3/4周してから河口湖へ。最初は先に自動車博物館に行こうと思ってまして、webサイトに「開館時間:9:00~17:00」とあったのでそれに合わせて行ってみれば、なんと開館は1000からだって言うぢゃないの奥さん!(今サイトをよく見たら「営業時間:10:00~16:00(4月~11月)」って書かれてました。紛らわし杉(-_-;))仕方がないので0900から開園しているドギーパークに先に行くことにしました。
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 園内にある小型犬用ドッグランに行き、チコのリードを外してドッグラン初体験です。ところがちっとも走り回りません。ワタシやカミさんの足元を、地面の匂いを嗅ぎつつうろうろするだけ。中には先に狆がいたのですが、飼い主に引かれてその狆(まだ生後半年のメスですんごく人懐こかったです)が近づいてきても遠巻きにするだけ(爆)。相変わらず他の犬を苦手にするチコなのでした(涙)。
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 アジリティができるコーナーに連れていってもまったくやる気なし(爆)。まぁ飼い主がヒッキーみたいなもんですからね(笑)、アウトドアスポーツなんでやるわけないですな。

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 園内にはあちこちに犬がいるゲージがありました。この子は秋田犬の「こま」ちゃん。もう12歳のおばあさんです。


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 池には白鳥の姿も。構って欲しいのか人が通る橋のそばから離れません。もちろんチコは白鳥など見ようともしませんでした。(^◇^;)


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 奥のほうには何故か猿山もありました。もっともサルたちも暑さにへばってみんな日陰でのんべんだらりとしてました。


 園内にはレンタル犬(気に入った犬を連れて園内を散歩できる)コーナーなどもあってあちこちにケージや檻があるんですが、正直言ってそのそばを通るとかなり臭かったです。猿山も臭くてカミさんは近寄りませんでした。これさえなければもうちょっと印象が良かったのですが。ここは犬を飼いたいけど諸般の事情で飼えない、という方にはいい鴨ですね。
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 ということでようやく「河口湖自動車博物館」へ。お目当てはクルマではなく今年も公開された零戦です。2001年と2002年の公開の際にも見に来たのですが、今回ようやく晴れた日に来ることが出来ました。今回撮った写真も近いうちにウチのサイトの「資料室」→「河口湖自動車博物館の零戦」コーナーに上げます。

 ここまで見てまだお昼前。でも朝早くから出てきたのでもはやお疲れモードなのでした。早々に撤収することに。またぞろ下道で東名御殿場まで行き、乗ってすぐの足柄SAで弁当を買って車内で昼食(チコがいるためレストランに入れない)。この時間ならまだ渋滞知らずの東名を走って1430頃帰宅しました。そのあと1830頃まで寝たのは言うまでもありません(爆)。おかげでまだ全く眠くないんですわ。(^◇^;)

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2005.08.10

「亡国のイージス」観てきました(^o^)/

 ワタシ的“2005年夏の映画祭り”、最後を飾る某国ぢゃない「亡国のイージス」を例によってレイトショーで観てきました。まぁナンです、「ダイ・ハード」ですなアレは。真田広之強すぎ、てゆーかしぶとすぎ(笑)。それはともかく、あと1時間もあればもうちょっと語れるのに、って感じで登場人物の背景や繋がり、あるいは事件の伏線がやや判りにくい面もありますが、全体としてはいい感じなんぢゃないでせうか。防衛庁(?)の展望喫煙室(んなもんあるのか?)で佐藤浩市と岸部一徳が「戦争と平和、そして国家」について語り合うシーン、あれにこの映画の言わんとすることが集約されてたような気がします(ナニを語ってたのかはネタバレになるので書きませんが)。

 ちょうど衆院解散→総選挙、という時期にぶつかっちゃったんで、どうにもいろいろ考えてしまいましたね。少なくとも、民主党に“未来は渡さない”という思いを強くしましたです。(`・ω・´)

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2005.08.06

読書録:「あゝ厚木航空隊」相良 俊輔

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あゝ厚木航空隊 あるサムライの殉国
相良 俊輔
光人社NF文庫
\660
1993年8月17日発行

2005年8月5日読了

 毎年恒例「敗戦記念日に戦記物を読む」企画、今年はちょっと早めにやってみた。太平洋戦争に興味のあるミリオタなら恐らく知らない者はいないであらう、終戦直後の『厚木航空隊の反乱』。この“敗戦日本”を揺るがした大事件を首謀者の厚木航空隊司令・小園安名の人となりを辿りつつ描いたのが本書である。

 昭和天皇の「終戦の詔勅」を聞いた小園が『戦闘継続は異勅とはならない』と結論づけたのはいささか強引すぎるような気がするが、それはやはり60年後の世界から見た“後出しジャンケン”である。ここで言えるのは、小園の戦闘を継続する決意が日本の国体や陛下の身の上を案じた純粋な気持ちから出たことである、ということであり、こればかりは否定することはできないであらう。ただ小園にとって残念なことに、反乱を起こした厚木航空隊が小園を一番必要としていた時に、(反乱を押さえる側から見ればラッキーなことに)昔罹ったマラリアが再発してしまったのであった。ここで小園のマラリアが発病していなかったら、果たして今の日本はこの形で存在し得たのだらうか。8月30日にマッカーサーが厚木に乗り込めなかったことは確かであらう。この“歴史のif”を考えてみるのも面白いかも知れない。

 なお、現在の米海軍厚木航空施設内に厚木にいた旧日本海軍機が埋まっているというのはミリオタには周知の事実だが、ブルドーザーを使って機体を谷に落としたのが日本の民間業者であり、そこに至るまでは任侠映画さながらのかなりのすったもんだがあったというのは本書で始めて知った。また最後まで抵抗した海軍士官らが収監された刑務所でちょっとしたエピソードがあったのだが、そのことについては裏ブログ(笑)に書くことにしたい。


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2005.08.04

今日も模型を弄れなかった・・・orz

hips_4_
 昨日弄ってここまで。ズベズダの3機、風防付けたらその上の屋根が庇みたいに出っ張ってるので、ナイフと耐水ペーパーでツライチにしました。あとは尾端のテイルローター基部を付けたらようやく胴体の下ごしらえ終了、となるわけですが。まだローターとか脚周りとかMi-17Z-2の電子機材ポッドとか、下塗り前にやることがまだまだ山積しちょります。

 しかしKPとズベズダでまるで顔が違うのはなぜ? ほとんど別機だよこれ。

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2005.08.01

冴えてないサエタ本格始動(゚∀゚)

saeta_a
 サエタに関する前回のエントリーのタイトルを『ちょっち浮気*^_^*』なんてやったもんで、どうもエロトラバを呼び込んでいる模様。見つけ次第デリってますけどお目汚しご容赦下され。m(_ _)m

 ということで、お尻たちがパテ乾燥待ちなのをいいことに、MPM1/72のHA200“冴えてない”サエタとスペシャルホビー1/72HA220“超冴えてない”スーパーサエタの製作に取りかかりました。あ、いやお尻だってローターとか脚周りとかいじってりゃいいんですけど、ちょっと倦怠期になってるもんで(笑)。というわけでサエタ&スーパーサエタですが、簡イではありますがパーツの合いは割といいみたいです。組み立て自体はあまり苦労せずに済みそうな悪寒。ただスーパーサエタのほうは山ほどあるレジンパーツのうち主計器盤のパーツを紛失していることが判明、(´・ω・`)ショボーンとなりましたがまぁとりあえず色塗りまでしましたよ。
saeta_b
 イモ付けの主翼接合部には0.8mm真鍮線で差し込みを作りましたです。右翼は位置合わせをしくじって胴体側の穴がいびつになりました(笑)。

\(^_\)ソンナハナシハ(/_^)/コッチヘオイトイテ

 メインサイトの『KWATのほおむぺえじ一号一型』が20万ヒット目前です。切り番企画を何かやろうか思案中。前のエントリーに上げたお手つきハリファックスを、銀爆鮫エントリー権付きで差し上げるというのはどうでしょか>るーぷあんてなサン
 それぢゃただの嫌がらせですかそうですか。誰も名乗りでないだろってか?(゚∀゚)

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