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2006.07.26

読書録:「本気で言いたいことがある」さだ まさし

Honkide2
本気で言いたいことがある
さだ まさし
新潮新書
\700
2006年4月20日発行

2006年7月25日読了

 まっさん(著者のこと)に「建具屋カトーの決心 -儂がジジイになった頃-」という歌がある(JASRACがウルサそうなので歌詞は各自でググって調べてちょ)。1989年4月に発表された歌なのだが、『絶滅間近の朱鷺という名の美しい鳥のように/ニッポンジンて奴がどんどんいなくなってるじゃねェかヨ』と歌うこの歌は、今にして思えばこの本のプロローグのようなものなのであった。てゆーか、17年前にまっさんが感じていた「この国への憂い」は、未だに変わってはおらず、むしろ悪くなっているようですらあるのだった。
 この本は、そんなまっさんの「愛する日本へのラブレター」である。形骸化する“家族”を憂い、教育のことを心配し、もっと他人とコミュニケーションを取ろう、物事に対する想像力を働かせようと訴えるのである。残念なことにワタシ的には全ての主張に頷けるわけではないが(靖国神社のこととか自衛隊のこととか)、この国の行く末を本気で心配しているのがジンジンと伝わってくるのである。
 ちなみに、頷けない2点について。まず靖国。「中韓の反発にもかかわらず参拝を続けるのは喧嘩を売っているようだから、とりあえず止めたら?」というのがまっさんの主張である。ワタシは逆に「喧嘩上等」(笑)。ただし、「(政治家が)諸外国に向かって『あなたの国の習わしとは馴染まないかもしれないけれど、この考え方がこの国に住む人々の昔からの習わしである。でも、だからといって先の戦争を肯定したり美化したりするようなことはしない』と、繰り返し繰り返し何十回でも何百回でもそう説明しなければならない」という部分は賛成である。これは相手が辟易するくらいしつこくやるべきであらう。
 次に自衛隊について。まっさんはイラクに自衛隊を派遣したことについて、「1991年の時は『金だけ出して兵隊は出さない』ということが実行できたのだから、今回もそうするべきだった。たとえ外国から蔑まれても、どうあっても外国での戦争には荷担しない、という姿勢を、5回、6回と続ければ、日本はそういう国なのだとたとえ渋々でも認めてもらえたはずだ」と主張する。それはやはり違うだらう。まっさんは「ブッシュの脅しに屈した」と書くが、それはちょっとサヨク掛かった見方であるような気がする。日米の同盟関係を強固にすることは日本のためにもなるのであるから、むしろ「貸しを作った」くらいに見ておくのが妥当だと思う。また、日本が今の国際社会で一人前の口を利くためには、現実としてやはり金だけではなく人を出す必要がある。金だけ出して事を納めようとするヤツは、町内会でも国際社会でも軽蔑されるし、そんなヤツの言うことなど周囲は聞く耳を持たないものである。
 もうひとつ、「『自衛隊の海外派兵』と聞いたとき、僕には徴兵制への道が見えた気がした」と書くまっさん。ご安心あれ、それは全くの的はずれである。徴兵で集めた兵隊で作った軍隊はロクなものではない、ということは我が国は先の戦争で痛いほど判っている。西隣の国の軍隊を見てもそれがよく判る。現代の戦争は、徴兵で集めた右も左も判らないヤツが戦えるほど単純ではないのである(参考:このへん)。また、まっさんは「こうしてこれから何度も自衛隊が危険な場所へ行くことになれば、命を落とす隊員が出てくるかもしれない。/となると、自衛官のなり手は減少していくはずです。/「死にたくない」と、現役自衛官も辞めていくかもしれない」とも書いている。これ、逆もあるのではないかとワタシは思う。PKOやPKF(これは現段階ではまだ参加できないが)で自衛隊が海外へ行くことで、他の国の復興や治安維持に貢献できるのだ、と考えれば、逆に志願者が増えるかも知れない。現にそれを理由に自衛隊を志望する人もいると聞く。それに、自衛隊の危険な任務は何も海外派遣だけではなく、災害派遣だってある。そこで自衛官の献身的な努力で命を救われた若者が、自分もそうなりたいと自衛隊を志望する例も実際ある。危険な場所が死と隣り合わせなのは当たり前。でもそれは戦場だけではない、ということくらい、ちょっと想像力を働かせれば判ること(なんでまっさんは、ここの部分だけは想像力を働かせないのだらう)。例えば鳶職の志望者が多くないのは、「危険な高所作業があるので死にたくない」という理由だけではないはずである。
 まぁ、そんなわけで若干「?」という点はあるが、それくらいは当然のこと。全部が全部頷ける話ばかりだったらかえって気味が悪い(笑)。ということで、ニッポンを憂う人たちよ、とりあえず読んどけ。

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コメント

歌手「さだまさし」は僕らの世代のロック少年にとっては天敵みたいなもので、声がラジオから流れてくるだけでも、違う局に代えてしまったりしたものです^^;

しかしそれから幾星霜、あんなに嫌いだったはずのさだ氏の歌声もまた、ノスタルジーのフィルターに濾され、たとえば映画「僕らはみんな生きている」みたいな使われ方をするようになったわけです(^_^)

本書の初出がどこかは知りませんが、そんなさだ氏がずいぶん長い間毎日新聞にコラムを書いており、おそらく本書と同様な主張をなさっております。僕個人の感想はほぼKWATさんと同じですが、イラク派遣についてはちょっと微妙^^;

国際貢献以前の問題として、はたして戦争そのものに「義」があったか否かはアメリカ本国でもいまだに議論があり、現在ではむしろ「する必要のない」戦争ではなかったか、という方向に傾いています。結果的に一部先制攻撃論者の口車に乗ってしまった開戦を全面的に肯定し、あっさりと派遣を決めてしまったコイズミ氏、どうしても国際貢献というよりはアメリカ貢献、もっとはっきり言っちゃえばブッシュ貢献しか頭になかったのではないか、という感想を抱かざるを得ません。

今回の派遣がブッシュ政権に評価されるのは間違いありませんが、同様の評価をアメリカ次期政権に得られるのか、また国際社会からどう見られたのかについてはもうひとつ判りません。少なくとも、今回の安保理決議案で簡単に揺らいでしまった英仏には、さほど高く評価されていなかったようですね^^;

投稿: TOM | 2006.07.26 06:54 午後

最近のまっさんは殆ど聴いていないのですが、今でもカラオケなどで歌える数少ない歌手の一人だったり。昔は「さだまさしのセイヤング」も布団の中で必死に聴いていたりして。あぁ青春の一ページ(笑)
やっぱり聴かなくなったのは政治的メッセージが入る様になってからかも。もっと詩的な歌を歌う人だっただけにそう感じたのかなぁ。

投稿: みほり | 2006.07.26 11:04 午後

>>TOMさん

 この本は書き下ろしみたいですね。毎日新聞でそんな連載してるんですか。

 イラク派遣については、ワタシはあの時の我が国としては他に選択肢はなかったのではないかと思ってます。大量破壊兵器が結局なかった、なんてのは後になって判ったことですし、日本が独自に情報を取れるわけもありませんし、だいいち日本にとっては仏独より米が大事なのは当然のことですから。確かに「国際貢献というよりはアメリカ貢献」であったでせうけど、「アメリカ貢献」を全くしないわけにもいきませんし、さりとて気を持たせつつ先延ばしにする、とかアメリカをたしなめてみる、なんてことができる外交手腕があの時の我が国にあったとは思えません。なにしろ外相は川口順子氏、官房長官は福田康夫氏でしたから。(^◇^;)

>>みほりさん

 セイ!ヤングはワタシも聞いてました。とはいっても他局が深夜放送に力を入れなくなった後の、土曜の晩にだけやってた時でしたけど(深夜放送全盛期は有楽町(当時)を聴いてました(^◇^;))。

 まっさんの歌に政治的メッセージが込められたものとしてワタシが意識したのは、1982年発表の「前夜」でしたねぇ(“右翼”批判を受けた「防人の詩」はそれより前、1980年発表でしたが、それは歌の内容というよりむしろ、映画「二〇三高地」の主題歌に使われたからだと思ってます)。ワタシ的には、そういう歌で「政治的なことだってちゃんと考えないとイカンのと違うか?」と問いかけられたような気がしましたけど、ネガティブな印象にはなりませんでしたですよ。

 ちなみに、最近はまっさんの歌はあまり聴かないんですが、これは単にカミさんと好きな楽曲の好みが全然違うから、という理由です(爆)。でもさっき久しぶりにCDを引っぱり出して「建具屋カトーの決心」を聴きました。(^o^)

投稿: KWAT | 2006.07.27 01:04 午前

まあ日本のとれる選択肢がほとんどなかったというのは事実でしょうが、↓で開戦前に書いたコラムでも明らかなように、当時すでに大量破壊兵器が発見できる可能性はほとんどなく、アメリカの開戦理由が言いがかりに近かったのは周知の事実でした。それに対してひとことの意見もなく、ただべったり従うだけの姿勢が果たしてよかったのかどうか、僕としては異論があるところです。

http://homepage1.nifty.com/kasatosi/column150.html

(代理アップ:KWAT)

投稿: TOM | 2006.07.28 04:56 午後

 まぁワタシとしても、何の批判もなくほいほい付いていった姿勢はあまりいいとは言えませんが、結局は結果で判断するしかないわけで。これがなかったら、先の北鮮への非難決議の時にアメリカがあすこまで味方になって協力してくれたか、と思わなくもないのです。もちろん「それはそれ、これはこれで関係ない」という見方もできますでせうが。

 とにかく、日本がアメリカにきちんと物を言えるのは、日米同盟が対等な関係になった時だと思います。それはとりもなおさず、今の日米安保条約が破棄されて別の条約に変わる時ではないかと思いますよ。

投稿: KWAT | 2006.07.28 05:08 午後

のこのこおそレス(w

イラク戦争開戦について、国連で大量破壊論議がなされました。で、案の定というか、軍事攻撃についてのダメ押し決議が否決され、米英有志のみでの介入となったわけですが、これってアメリカ外交のミスだったと思います。

大量破壊兵器の有無の証拠を巡るジャガタラ問答のスパイラルに落ちゃったんですが、実は本質は絶対に何があろうが国際法では不法とされた先制攻撃(パリ不戦条約)が許されるのか?でした。

一般に最近の解釈では、国内で非人道的な統治を行い、他国に危険を及ぼす蓋然性の高い国に対しては方法がない場合は許される、が支配的になっています。

フランスなどはこれの条件を厳しく見、英米は少しゆるく見た、というのが実態です。
近代国際法のコモンセンスは各国民が平和のうちに自由かつ平等な生活が享受できる世界を目指す、ですから、独裁者やらテロの人やら差別主義バリバリの宗教原理主義者がこれを隠れ蓑や悪用に利用するを防ぐには、が今日的な課題です。

今のブッシュ政権は前クリントン政権が外交的引きこもりから宥和政策ばかりやってきましたから、むしろかえってイラク情勢を悪化させたという負い目のため、それを挽回すべきとして強攻策に乗り出しました。ところが、実際に交渉に当たったパウエルが刑事訴訟的発想に取り付かれ、物証云々という方に議論を落としてしまいました。これゆえ、国連決議(本当にダメ押しの意味しかない)は否決、莫迦新聞赤新聞はアメリカを無法者扱い、パウエルはクビ、という始末になりました。

ただ、国際法と言うのは慣習法で、実際に起きた事件や主要国の態度で解釈が変わりえます。特に現在先制攻撃をやってほぼ確実に勝てる国はアメリカ以外ありません。したがって米解釈をもって行くという日本政府方針は正しいものと思います。もし、これがけしからん、なら、日本が核武装なりして東亜で絶対的な戦力差を見せ付けるか、金某やアルカイダのようにアメリカの顔に泥を塗ることばかり毎日考えなければなりません。

ところで、アメリカ外交のゆり戻しから、次期政権は誰が大統領になっても孤立主義に回帰する公算が高いですから、今度は何かあったら日本始め総出で泣いたり怒ったりひっぱたりしてアメリカ軍を引きずり出さなければならない羽目になるかもしれません。
現政権のうちに米軍に極東に戻ってきて頂きたいのですが、あっち方面がまだキナクサイですからね。

さだまさし@海山しにますか さんはしょうがないですね。芸能人のブレーンというのは大概赤っぽいですから、どうしても影響をまぬがれません。

投稿: ゆずこせう | 2006.08.12 08:01 午前

KWAT師匠ごめんね。
次回からはやわらかカキコにしますから。

投稿: ゆずこせう | 2006.08.12 09:22 午前

 詳しい解説ありがとうございます。アメリカの次期大統領がヒラリーにならないことを祈るばかりです(笑)。

 カミさんが『ミュージシャンやアーティストなんてのは平和な世の中でないと思うように活動できないから、必然的に日本ではヒダリ寄りになるんだ』って言ってたことがあるんですが、確かにそうかも知れないなとか思ってみたり。

投稿: KWAT | 2006.08.12 03:40 午後

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