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2006年7月

2006.07.30

百里航空祭に行ってきました!(^^)v

Hyakuri01
 詳細は追々書きますが、とりあえず昨夜2316に家を出て裏門着が0130ごろ。結果としてそれが良かったようでした。夜明け頃はドン曇りで肌寒いくらいだった天気は、夜が明けたらどんどん良くなってBIが飛ぶ頃にはほぼ快晴。久しぶりに百里でF-15の機動飛行が見られましたし、F-2Aは三沢のスペマーが来ててこれも機動飛行をやりました。それに米軍機が百里航空祭に展示されたのは何年振りでせうかねぇ。しかも「WD」の色つきと「VE」はともかく、「AC」のプラウラーなんてワタシゃ初めて見ましたですよダンナ。すんごい儲けた気分(笑)。空自のハークが多忙で来れないせいか、「AK」のハークもいましたけどなぜか右に傾いてました(爆)。それよりも何よりもスゴかったのは、空自が極秘に配備していた“目に見えない”ステルス機が展示されたとですよ奥さん! これが今日最大の目玉でしたね。(゚∀゚)

 晴天になったおかげで日焼けが酷いです。腕とうなじと顔が真っ赤っか。ついでに歩きすぎてふくらはぎがパンパンなので、もう今夜は寝ます。(~O~")ファ-アッ

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2006.07.29

久々に模型を弄ってみたり

Harrier_h_
 ようやく模型を弄る時間が取れた、というより弄る気になったので、複座型ハリアーをちまちま進めてみました。まずはエレール+ハセガワ(以後1号とします)の機首にスジボリをいれました。手元に左側面の図面しかないので、右側面は写真を見ながらテキトーに。胴体のほうもペーパーを入れてスジボリを直したり。機首上面に小インテークにするためのプラ板を貼り付けて、本日の1号は終わり。ちなみに、まだ機首と胴体はくっついてません。

 続いてエレール+イタレリ(以後2号とします)のほうに取りかかります。1号同様、まずは機首側面のパーツの繋ぎ目に盛大に段が出来ているので、ここにリューターを当てて均します。機首先端はジャンクパーツの増槽を切ったものを芯にして、瞬着を盛りつけて形を作っているので、ここにもリューターをゴリゴリと。もちろん削りすぎますので(爆)、☆★の光硬化パテを付けてペーパー掛けして形を整えます。だいたい済んだところで胴体のほうのペーパー掛け。こちらもパーツの繋ぎ目に瞬着を盛りつけてあるので、リューターを当てたらやはり削りすぎました(爆)。光硬化パテを盛って蛍光灯で固めたところで本日の2号は終了。

 正直なところ、こんな大工事は性に合わないです(笑)。パチパチ組んでササッと塗ってぺたっとデカール貼ってハイ完成! ってのがいいんですけどね~。そうじゃないと数をこなせません。なのでこの複座型ハリアーズ、実は2年以上前から弄ってるんですよね。他の単座型は2004年の秋には全部完成してるってのに。(^◇^;)

\(^_\)ソンナハナシハ(/_^)/コッチヘオイトイテ

 明日は航空自衛隊百里基地航空祭です。天気は良くなりそうなので結局行くことにしました。てことで、朝が早いのでもう寝ます。もやふみなさい。(~O~")ファ-アッ

 とかいいつつ、百里航空祭のサイトを見たら『天候不良の影響で、更に駐車場5000台分が使用不可能となっております』だって! たぶん裏門側が全滅してるんでせうねこれ。いや参った。今から出ようかな。(~。~;)ウウム

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2006.07.27

歯医者に行ってきた

 そんなこと、特に珍しくもなかろうと思ったそこの貴兄、ワタシにとってはこれ、一大イベントでして。なにしろ、実に30数年ぶりになるんですよ、歯医者に行ったのは(倒置法)。ワタシは虫歯にならない特異体質で、記憶にある限り歯医者に行ったのはまだ乳歯があったガキんちょの頃なんですよね。まぁそれでも歯垢や歯石は溜まるわけでして、歯磨きをテキトーにやっても虫歯にならない故、テキトーな歯磨きの結果歯石は溜まる一方なわけですな。特に下の前歯の裏側が悲惨なことになってまして、ひょんなことからそれを見たカミさんから「歯医者に行って歯石を取ってもらいなさい!」と厳命された、というわけなんですわ。(^。^;)ヨホホホ

 てことで行ったのはたまプラーザにある渡辺歯科。以前カミさんがお世話になっていたトコロで、もともとはたまぷらジモティーのがらんどうさんの紹介で行ったところでした。1800の予約でしたが診察室に入ったのは1830。まぁよくあることです。歯医者さんの椅子ってのは、床屋さんの椅子の廻りにごちゃごちゃといろいろくっついてる、って感じなんですね。まず助手のおねえさんがワタシの口の中をチェック。マスクをしたお顔が間近にあってちょっと緊張。そういえばちょっと前に、ラジオで谷村新司が『「マスク美人」ってのがあってね、知り合いでマスクをした女性ばかり撮ってるカメラマンがいるんだよ。あれはマスクの下は問題ではなくて、マスクをしてるその顔にこそ色気を感じるんだって』とかなんとか、そんなふうなことを喋ってたのを思いだしてみたり。

 歯のレントゲンも撮りました。産まれて初めて自分の歯の状態を知りました。親不知はすでに生え終わっていて(まぁ40過ぎだもんな(^◇^;))、上顎のそれは左右ともちゃんと生えてましたが、下顎のそれは両方とも真横を向いてました(爆)。右のヤツは顎に完全に埋まってましたが、もう生え終わった段階なのでそれはそれで問題なし。左のヤツはほんの少し顎の骨から顔を出していて、それが歯肉に埋まっている状態。これが隣の歯と若干の隙間を作っているので、将来的にここが炎症を起こすとかの可能性があるそうな。ただ全体的に歯並びも良く、虫歯にならない体質も相まって、歳を喰ってもほとんど全部の歯が残るのではないか、2年置きくらいにチェックしていけばいいでしょう、とも言われました。あと、耳下腺と舌下腺(唾液を作るところ)の中に石灰化した物体(ごく小さな石のようなもの)がわずかに認められましたが、これもその石が唾液が通る管に詰まって炎症を起こしたり、といった悪さをしない限りは放っといていいそうです。

 ということで、いよいよ歯石取り。今日は一番酷い下の前歯の裏を取りました。先の細いビットを付けたリューターのようなもの(てゆーか、多分リューターそのもの)を持って、歯科技工士のマスク美人(爆)のおねえさんが「きゅいーん」という音と共に歯石をゴリゴリ削っていきます。「痛かったら左手を挙げて下さいね」と言われましたが、手を挙げてその場の痛みを逃れたところで歯石取りが終わるわけでなし、そもそも我慢できないほどの痛みがあるでなし、それよりは一刻も早く終わらせたいし(痛くはなくとも気分のいいモンではありませんから)、というわけで一度も手は挙げませんでした。20分くらいかかりましたかねぇ。途中何度かうがいをしましたが、さすがに歯肉も傷つけているので吐き出した水は真っ赤っか(爆)。

 てなことで本日分の作業(笑)は終わり。前歯の裏の感触が全然違いますねぇ。なんだか歯が小さくなったみたい(笑)。歯石に押されて歯茎のラインも下がっているので、歯が浮いたようにも感じられます。続きはまた1週間後です。まぁとにかく、これが終わればこの歯でまた2年は戦えるわけですね。(゚∀゚)ア-ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!

\(^_\)ソンナハナシハ(/_^)/コッチヘオイトイテ

 小ネタ。メルマガ用兼スパム避けのYahoo!のメアドにこんなスパムが来てました。「久光」という差出人名で、タイトルが「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました。 」。なんとかして読ませようとテキもなかなか考えるもんです。テキストメールだし添付ファイルもないし、こんなへんてこなタイトルのメールが来たら、スパムと判っていてもついつい見たくなりますよね(笑)。もちろん中身は予想通り、『主人がいなくなったので火照った身体を持て余してます』てなもんでしたけど。(-_-;)

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2006.07.26

読書録:「本気で言いたいことがある」さだ まさし

Honkide2
本気で言いたいことがある
さだ まさし
新潮新書
\700
2006年4月20日発行

2006年7月25日読了

 まっさん(著者のこと)に「建具屋カトーの決心 -儂がジジイになった頃-」という歌がある(JASRACがウルサそうなので歌詞は各自でググって調べてちょ)。1989年4月に発表された歌なのだが、『絶滅間近の朱鷺という名の美しい鳥のように/ニッポンジンて奴がどんどんいなくなってるじゃねェかヨ』と歌うこの歌は、今にして思えばこの本のプロローグのようなものなのであった。てゆーか、17年前にまっさんが感じていた「この国への憂い」は、未だに変わってはおらず、むしろ悪くなっているようですらあるのだった。
 この本は、そんなまっさんの「愛する日本へのラブレター」である。形骸化する“家族”を憂い、教育のことを心配し、もっと他人とコミュニケーションを取ろう、物事に対する想像力を働かせようと訴えるのである。残念なことにワタシ的には全ての主張に頷けるわけではないが(靖国神社のこととか自衛隊のこととか)、この国の行く末を本気で心配しているのがジンジンと伝わってくるのである。
 ちなみに、頷けない2点について。まず靖国。「中韓の反発にもかかわらず参拝を続けるのは喧嘩を売っているようだから、とりあえず止めたら?」というのがまっさんの主張である。ワタシは逆に「喧嘩上等」(笑)。ただし、「(政治家が)諸外国に向かって『あなたの国の習わしとは馴染まないかもしれないけれど、この考え方がこの国に住む人々の昔からの習わしである。でも、だからといって先の戦争を肯定したり美化したりするようなことはしない』と、繰り返し繰り返し何十回でも何百回でもそう説明しなければならない」という部分は賛成である。これは相手が辟易するくらいしつこくやるべきであらう。
 次に自衛隊について。まっさんはイラクに自衛隊を派遣したことについて、「1991年の時は『金だけ出して兵隊は出さない』ということが実行できたのだから、今回もそうするべきだった。たとえ外国から蔑まれても、どうあっても外国での戦争には荷担しない、という姿勢を、5回、6回と続ければ、日本はそういう国なのだとたとえ渋々でも認めてもらえたはずだ」と主張する。それはやはり違うだらう。まっさんは「ブッシュの脅しに屈した」と書くが、それはちょっとサヨク掛かった見方であるような気がする。日米の同盟関係を強固にすることは日本のためにもなるのであるから、むしろ「貸しを作った」くらいに見ておくのが妥当だと思う。また、日本が今の国際社会で一人前の口を利くためには、現実としてやはり金だけではなく人を出す必要がある。金だけ出して事を納めようとするヤツは、町内会でも国際社会でも軽蔑されるし、そんなヤツの言うことなど周囲は聞く耳を持たないものである。
 もうひとつ、「『自衛隊の海外派兵』と聞いたとき、僕には徴兵制への道が見えた気がした」と書くまっさん。ご安心あれ、それは全くの的はずれである。徴兵で集めた兵隊で作った軍隊はロクなものではない、ということは我が国は先の戦争で痛いほど判っている。西隣の国の軍隊を見てもそれがよく判る。現代の戦争は、徴兵で集めた右も左も判らないヤツが戦えるほど単純ではないのである(参考:このへん)。また、まっさんは「こうしてこれから何度も自衛隊が危険な場所へ行くことになれば、命を落とす隊員が出てくるかもしれない。/となると、自衛官のなり手は減少していくはずです。/「死にたくない」と、現役自衛官も辞めていくかもしれない」とも書いている。これ、逆もあるのではないかとワタシは思う。PKOやPKF(これは現段階ではまだ参加できないが)で自衛隊が海外へ行くことで、他の国の復興や治安維持に貢献できるのだ、と考えれば、逆に志願者が増えるかも知れない。現にそれを理由に自衛隊を志望する人もいると聞く。それに、自衛隊の危険な任務は何も海外派遣だけではなく、災害派遣だってある。そこで自衛官の献身的な努力で命を救われた若者が、自分もそうなりたいと自衛隊を志望する例も実際ある。危険な場所が死と隣り合わせなのは当たり前。でもそれは戦場だけではない、ということくらい、ちょっと想像力を働かせれば判ること(なんでまっさんは、ここの部分だけは想像力を働かせないのだらう)。例えば鳶職の志望者が多くないのは、「危険な高所作業があるので死にたくない」という理由だけではないはずである。
 まぁ、そんなわけで若干「?」という点はあるが、それくらいは当然のこと。全部が全部頷ける話ばかりだったらかえって気味が悪い(笑)。ということで、ニッポンを憂う人たちよ、とりあえず読んどけ。

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2006.07.24

百里基地に電話しますた

 今週末の30日は航空自衛隊百里基地航空祭です。リンク先をご覧になるとお判りの通り、今年は駐車場がちと狭いご様子。でもまぁ狭いのは基地北側のほうなので、ワタシがいつも使っている与沢門(裏門)側は大丈夫だろうと思ってはいたのですが、念のため電話してみました。応対してくれた方が『与沢門』という呼び名をご存じなかったのはアレでしたが(笑)、それよりもこのところ悪天候続きぢゃないですか、「裏門のほうの駐車場は、この天候なので地面がぬかるんでいて使えないかも知れません」ですって奥さん! まぁどうしましょ!(((。O゚))) (((゚O。))) ヒィィィィー

 そうでした忘れてました。あすこは地面が柔いのでした。確かにワタシも過去にはぬかるんだ地面にクルマの車輪が取られてスタックしそうになったことがありましたよ。週間天気予報では、この先ずーっと曇りとか雨とか嬉しくない天気。明日からいきなり梅雨明けして、この先ずーっとピーカンだ、とかいうのでない限り、与沢門側の駐車場の地面が乾くことはないでせうねぇ。そうすると北門側ということになるわけですが、ただでさえ狭くなっている北側駐車場に全部のクルマが入れるはずもなく。北側駐車場の開門は0600とのことですが、こりゃ前夜から並んで待ってるくらいでないと無理かも。どのみち天気も良くなさそうだし、今年は百里行くの止めよっかなぁ。ヽ(`Д´)ノウワァァン!!

\(^_\)ソンナハナシハ(/_^)/コッチヘオイトイテ

Syukaku
 本日、英国の空気と紙屑を詰めてハナンツからブツが届きましたよ。中身は写真の通り。右から、エアウェーブ1/72のF-101A/Cブードゥー用機首、リンデンヒル1/72のL-39アルバトロス用デカール、ベゲモト1/72のMiG-21PF/PFV/PFS/PFM/U用デカール、イカルス1/72のギリシャ空軍ミラージュF.1CGスペマー機のデカール、同じくイカルス1/72のギリシャ空軍RF-4Eスペマー機のデカールです。実は欲しかったのはブードゥーの機首だけで、あとは£30にするための付け足しだったりするんですが(爆)。

 まぁでも、リンデンヒルのアルバトロス用デカールは小国者には(;´Д`)ハァハァ モンですよ。チェチェン、アルメニア、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、アフガニスタン(共和国時代、人民共和国時代、現在の3種)、ヴェトナム、エチオピア、ブルガリアというラインナップの前には、ソ連/ロシアの赤星なんてただの飾りです。ベゲモトのMiG-21デカールにもモンゴル空軍なんてのが入ってますし、付け足しのつもりのデカールのほうがむしろ楽しかったり(笑)。イカルスのスペマー機は派手でいいのですが、RF-4Eのデカールが入手できたことで、以前ミーティア(カッティングエッジデカールの元締め)から取り寄せた同じイカルスのギリシャ空軍F-4&F-104用デカールが無駄になった可能性も・・・。_| ̄|○

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2006.07.20

さらば“模型フォーラム”。・゚・(ノД`)・゚・。

 @nifからメールが来ますた。

■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■

    【重要】「フォーラム@nifty」サービス終了のお知らせ

■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■

                            2006年 7月20日
                           ニフティ株式会社

 平素はアット・ニフティをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。

 この度、2007年 3月31日(土)をもちまして「フォーラム@nifty」
(フォーラム、サークル、マイデスク機能)を終了 することとなりました。
これまで長い間、当サービスをご利用いただきましたお客様には深く感謝申し
上げます。

 1987年 4月よりワープロ・パソコン通信サービス「ニフティサーブ」におい
て提供を開始したフォーラムは、ネット上での数多くの出会いを生み、それま
でになかった形のコミュニケーションをとることができる場として発展してま
いりました。

 また、インターネットに移行後「@niftyコミュニティ」と統合することで
「フォーラム@nifty」の場を拡大し、結果としてこれまで多くのお客様にご愛
顧いただいてまいりました。

 しかしながら、個人で自由にコミュニティを構築できるサービスがインター
ネット上で数多く提供されるようになり、「フォーラム@nifty」のご利用が減
少してきたため、当サービスとしてはその役割を終えたと判断し、今年度末を
もってサービスを終了させていただくことになりました。
《以下略》


(文面の横幅が違いすぎるのでレイアウトがぐちゃぐちゃです(^◇^;))

 もうずいぶん前から「@nifがもうすぐフォーラムをやめる」と聞いてましたが、ついにその日が来ますた。思い返せば15年前、フラリと立ち寄ったアキバでアイワのポケットモデム(接続速度2400bps!)を衝動買いし、当時使っていたNECのPC-9801VX21に接続してNIFTY-Serveに初めてログインしたのが1991年6月4日。先月には@nifから『【入会15 周年】ご利用ありがとうございます』なんてぇメールまで来やがりまして(笑)、否応なしに歳を喰ったモンだと実感させられますた。orz

 NIFTY-Serveにログインして真っ先に向かったのが「模型フォーラム」(以下「Fも」)でした。それまで“模型はひとりでコツコツ作るモノ”であったワタシにとって、模型を語れる仲間がいるというのは新鮮な驚きであり楽しみでもありました。会議室(フォーラム内のツリー式BBSみたいなもの)へ書き込むのも、それを読むのもいつでも好きなときに出来て、しかも仲間は日本全国にいるわけですよ。時間も空間も超越したパソコン通信という新しいコミュニケーションツールの楽しさにどっぷり填っちゃいまして、そりゃぁもう毎晩のようにアクセスし、しかもチャット(フォーラム内では「リアルタイム会議(RT)」と呼んでました)に入り浸ってたりしたもんで、電話代と接続料金はウナギ登り(走召木亥火暴)。当時は料金定額制なんて夢の世界の話でしたからねぇ、請求書を見て青くなったことも一度ならずありましたです。

 オフラインミーティング(「オフミ」あるいは単に「OFF」と呼んでました)てのも新鮮でしたねぇ。画面上でHNで呼び合っていた人が、目の前にリアルに存在する驚きときたら(爆)。近所のメンバーとはしょっちゅう会って一緒に模型屋に行ったり飲んだり遊んだり。旅行に行って旅先に住んでいるメンバーがいれば、ご当地の模型屋を案内してもらったりもしました。そのうち自分たちの作品を持ち寄る場として1992年秋から「展示会OFF」が始まって、これが秋の「Fも展示会」になるわけです。一方、1994年からは静岡ホビーショー(SHS)合同展示会にも参加。当時はネット上のサークルというものがまだまだ珍種だった時代なので、当時☆★が土曜の朝にやっていたテレビ番組でのSHSレポートに「Fも」が採り上げられ、たまたま背中に金色の「も」が刺繍されたジャンバーを着ていたせいでなんとワタシがインタビューを受けて、日本じゅうに恥を晒したりもして。*^_^*

 その後インタネに移行して「フォーラム@nifty」のいちコンテンツになってからは、実はあまり顔を出さなくなっちゃいました。その頃アクティブメンバーのほとんどが自分のwebサイトを立ち上げたので、結局各々のサイトのBBS(最近はブログでも)でコミュニケーションは事足りちゃうんですよね。そんなわけで「Fも」も最近は閑古鳥が鳴いてる状態。なくなるのも時間の問題だったのでした。

 そんなわけで、ワタシのネット人生の始まりでもあったパソコン通信(このサービス自体はすでに終了)も、ワタシにとってその中の最重要コンテンツだった「模型フォーラム」も、全て終わってしまうのでした。寂しい気もしますが、これも時代の流れってやつなんですねぇ。。・゚・(ノД`)・゚・。

 さて、もちろんこの事態を見越して、すでにmixi内にクローズドコミュニティとして「NIFTY模型フォーラムOB会」を立ち上げてあります。今のところ、正直いってそちらも決してアクティブなわけではないんですが(爆)、今年のSHSの前にはすでにOB会のほうも連絡場所として機能してました。「Fも」としては今後はそちらがメインになりますので、旧「Fも」メンバーでOB会に参加したい方、mixiにすでに加入している方は検索して探して下さい。mixiに加入してない方はそこら辺の適当なFもアクティブメンバーに声を掛けてくだちい。招待状を出しますんで。

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2006.07.17

WCC-L4のハチロクその2

A
 『川崎のショットバー「ペパーランド」のマスターが自作した米空軍のハチロク用1/144デカールを、WCC-L4のハチロクに貼ってみる』企画その2であります(その1はこちら)。
B
 今度は51st FIW/39th FIS所属のジム・トンプソン大尉機“THE HUFF”であります。機体は6-3翼に改修したF-86F-1(S/N51-2897)。あまりにも有名なマーキングですが、いくつかパターンがあるような気がします。確証はありませんが。

 てなわけで、これはマスターたっての希望で貼りましたので、今度ペパーランドに行くことがあったらプレゼントすることにしませう。(^o^)

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読書録:「増補版 時刻表昭和史」宮脇 俊三

Jikokuhyo_showashi2
増補版 時刻表昭和史
宮脇 俊三
角川文庫
\533
2001年6月25日初版発行

2006年7月14日読了

 渋谷駅前に立つ「忠犬ハチ公」の銅像。このハチ公が帰らぬご主人を待っていた昭和8年の渋谷駅前の描写から始まる本書は、鉄道と『時刻表』をキーワードに太平洋戦争直後までの著者の半生を綴った自叙伝であり、戦前から終戦直後にかけての、ひとりの若者の目を通した“昭和の情景”である。著者の父親は軍人出身ながら反戦代議士として名を馳せた宮脇長吉氏(昭和13年3月3日、衆議院で審議中の国家総動員法案をめぐり、説明員である陸軍の佐藤賢了中佐から「黙れ」と怒鳴られたのが宮脇議員である)であったので、フツーの庶民よりかなり恵まれた生活水準であったわけであるが、そうであっても戦時体制は否応なしに迫ってくるのである。そうしてどんどん戦争一色になっていく生活や、戦争に対する庶民の思いなど、教科書などで教えられた通り一遍の知識ではまったく知ることの出来ない生の人間の記憶がそこにある。そしてなにより、戦争が始まっても、空襲を受けても、戦争の終わりを告げる玉音放送が流れた直後であっても、汽車は走っていたのである。それにしても、もしかしたら玉音放送の最中も走っていたのかも知れない、そう思わせるような当時の国鉄の律儀さはどーよ。(^◇^;)

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2006.07.14

複座型ハリアー再開・・・ですが

 こないだの日曜日に、カミさんの本棚に入ってた「あずまんが大王」のコミックを発掘してしまいました。自分で買ったモンなので自分の本棚に移そうかな、とか思って出しただけだったんですが、なんでだか一気に読み返してしまいましたよ。いや、やっぱいつ読んでも面白いですねこれ。*^_^*
Harrier_g1_
 だもんで、せっかく1年と4ヶ月振りに製作を再開したナナニの複座型ハリアー×2はあんまし進んでませんですよ。月曜に再開した時点で写真の状態にまではなってたんですが、パーツの合わせ目の段差に瞬着を盛った段階で放置されてたので、まずは#320のペーパーで荒削り。まだまだ凸凹なので☆★の光硬化パテを盛ってまたガリガリ。まだ凹ってるのでまた盛って、の繰り返し。こういう作業は好きではないので早くも鬱でつ。(´・ω・`)

 だいたいが、ハセガワのシーハリアーから流用したウィンドシールドの幅が機首パーツの幅より狭いので、それをどう解決するかという問題もありまして。機首パーツ側を削ろうにも、コクピット側壁部分にまでウインドシールドが掛かっているので削りシロがありませぬ。最初から判ってればもっとやりようがあったのですが、なにせ元のパーツを原型を留めないくらいにバラバラにしてたので仮組みすらままならず。なので現段階では「ウィンドシールドを無理矢理押し広げて瞬着で強引にくっつける」という案が有力なのですが、一歩間違えればクラックが入る可能性大なわけで。さてどうしたもんだか。
Harrier_g2_
 てことで、仮組みなどして気分を盛り上げてみようと。ちなみに先に進めているこちらはエレールのハリアーT.4とハセガワのシーハリアーとをニコイチしたほうで、こっちのほうが組立は多少楽です。もう1機はエレールのT.4とイタレリ(エッシー)のシーハリアーをニコイチしたもので、胴体背面やエアブレーキ部のディテールはこっちのほうがいいのですが、機首と胴体の接合にちょいと苦労しそうな悪寒。

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2006.07.13

ココログメンテ終了

 てことで、メンテが終わりましたよココログ。ようやくフツーに記事が書けるようになったみたいです。もっとも、まだ根本的な解決にはなっていないらしいのですが。

 ところで、サイドバーが下に表示された問題ですが、先のエントリーの最後の「</p>」タグが閉じられていなかったためと判明しますた。ようやく直せましたですよ。

 で、このエントリーは「ubicast Blogger」を使わずブラウザで編集してるわけですが、これだとhtmlタグはいらないんですよね。でも、先のエントリーの本文からタグを外すと改行が反映されなくなってしまいます。どういうこっちゃ。

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2006.07.09

ココログ重すぎ(-_-;)

 夜中はもちろん真っ昼間でも管理画面が重すぎて、更新はおろかログインすらままならない状態が続いてまつ。いったい何やってんだよ@nifは。無料の「フリー」だとそんな不具合は起きていないらしいのですが、有料ユーザ向けの「ベーシック」(ワタシはこれ)「プラス」「プロ」がダメだってんだから、正直言ってユーザーをバカにしてる的。「フリー」の広告主のほうがお金いっぱいくれるからか? 乗り換えるのは面倒なのでなんかいい方法ないかなと思って探したら、ありましたですよ。

 てなわけで、今これを書いているのは(株)ユビキャストの「ubicast Blogger」。フツーはブラウザー経由の管理画面で編集するわけですが、こいつはブログ投稿ツール用の経路(というのがあるらしい(^◇^;))で編集するので、今のところ何の問題もなく編集できるらしい。ということで今試しているわけです。

 と、ここまで書いて投稿しようとしたら「プロキシエラー」で弾かれますた。_| ̄|○ 今度こそ・・・。 って思ってたら、なんとこの記事も前の記事もアップされてますた。ところで「ubicast Blogger」って記事の削除ができません(爆)。仕方がないのでしばらくこのまま放置します。(-_-;)

【7月10日09:40追記】
 この時間に会社から入ってみて、ようやく先のエントリーが削除できました。今これを書いてる管理画面も、表示がめちゃくちゃです。ったく腹が立つ。(-_-;)

【7月10日12:21追記】
 上記の時間に編集した画面は、なぜか改行がまったく反映されてませんですた。ブログを書くときには付ける必要がない「<p>~</p>」タグがいるみたいです。ちなみにこれを書いている今も、管理画面はめちゃくちゃ重いです。

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2006.07.05

webサイト行方不明ヽ(`Д´)ノウワァァン!!

 ウチのwebサイト「KWATのほおむぺえじ一号一型」が、今日の夕方くらいからアクセス不能になりますた。どうやら@nifの「homepage1.nifty.com」サーバから削除されたっぽいです。ワタシゃなんにもしてないのに。このブログのページの右側にあるハズのバナーが表示されないのもそのせいです。さっき問い合わせのメール出しましたが、明日の朝までに返答が来なければ(あるいは返答の内容次第では)、明日の朝イチで電凸することにします。

 ったく、困るんだよな。かなり前ですが、他の会員と間違えてアカウントそのものを削除されたこともありますし。でもプロバイダ乗り換えるとあちこちで使ってる@nifのメアドの変更手続きが至極面倒だし、webサイトや表ブログ(ここのことね)の引っ越しも触れて歩かにゃならんし、大変なんですから。もそっとしっかりしてくれい(-_-;)>@nif

 ってここまで書いてよくよく未読メールを見たら、@nifから連絡が来てマスタ。かなり前に、ワタシ宛てに届いた「Yahoo!を装ったフィッシング詐欺メール」をネタとして公開してたページが問題とされ、公開を一時止められてしまったのでした。(^^ゞ

 明日のお昼までには復旧すると思いますので。お騒がせしますた。m(_ _)m

【7月6日14:30追記】
 @nifからのメールで「10時から30分だけ入れるようにしてやる」ってんで、10時になったら会社のパソコンでftpソフト立ち上げて速攻アクセス。該当ページのhtmlファイルをさくっと削除しますた。そしたら@nifから「以後気を付けるよーに」というメールが来て復活しましたとさ。めでたしめでたし。(´・ω・`)

 しかし夜9時くらいからの、このココログのメンテ画面の重さはなんとかならんものか>@nif

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2006.07.03

まだやってら(笑)

R0020479
 結局この週末は、未製作のまま残っていた最後の食玩、エフトイズの「WWIIウォーバードコレクション」を作ってました。出来のほうは先の「日本の翼コレクション」よりは若干落ちるような気がしますが、シュトルモビクを見るとバンダイの「ウイングクラブコレクションL4」のものよりいい感じではあります。今回の「WWIIウォーバードコレクション」の中にはHe100が入っていますが、これ実はワタシが初めて買った航空雑誌である、航空ファン誌の1977年2月号に載っておりまして、言うなれば“初めて見たドイツ機”なわけです。だもんでドイツ機の中ではけっこう印象が強い機体なんですよね。いわゆる『刷り込み』ってやつでせう(笑)。唯一出たシークレットもこのHe100で、”もし配備されていたら”バージョンでした。胴体下の引き込み式ラジエーターのパーツがないエラー品でしたが。。・゚・(ノД`)・゚・。

 そんなこんなで1/72ハリアー複座型のほうは相変わらず放置プレイのまま。そういえば『「ウイングクラブコレクションL4」のハチロクにペパーランドの店長謹製のデカールを貼るプロジェクト・パート2』ってのもあったっけ(パート1はこちら)。今週はそれやるかな。(^。^;)ヨホホホ

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