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2009年10月

2009.10.29

これで運を使い果たしたか?

 カフェレオの「ビッグバード4」、まだ欲しいのが出てないのは前回書いた通り。なので今日も今日とて行きつけの模型店へ。店員ゴトーくんと「一昨日買った2個、グライフとシクレ中のシクレの九九双軽が出ちゃってさー、二式大艇とC-47が欲しいのに~」とか話しつつ品定め。ゴトーくんが「二式大艇は質量があるんですよね、これなんかそうじゃないですかね」とか言いつつ出してきた箱。「よし、キミを信じよう!」とそれをチョイス。さらに「逆にC-47は一番軽い」というのですが、たまたま手に取った別の箱がちょうど軽そうだったのでそれもチョイス。今日も2個買って帰ったのでありました。

 まず軽いほうの箱から開けます。AC-47出ないかな・・・あれ、濃緑色に日の丸? これ、シクレカラーの零式輸送機じゃんか。これは当たりといっていい!(*´∀`*)

 次にゴトーくんが選んでくれた箱を開けます。むむ、これは紛う方無き二式大艇!ゴトーくんありがとー!!さてマーキングは?・・・あれ、尾翼に「801-904」って書かれてるぞ。これってもしかして、シクレカラーの第801海軍航空隊「梓特別攻撃隊」誘導機ってやつ? こっちもシクレか!\(゚_゚")/ ドヒェーツ!!

R0011423R0011424 かくして4個買って3個がシクレという大当たり状態。きっともうこれで今年の運は尽きたな。次に買ったらグライフ(ちなみに#04のほう)がダブるに違いない(笑)。ノーマルカラーの二式大艇とAC-47はヤフオクででも手に入れようかしらん。

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2009.10.27

運がいいのか悪いのか

 カフェレオから「ビッグバード4」が出ますた。二式大艇、He177グライフ、C-47スカイトレインというラインナップ。詳細はリンク先をご覧頂くとして、ワタシとしてはとりあえず二式大艇とC-47がホスイなぁ、グライフはいらんなぁ、と。行きつけの模型店に寄ったらあったのでさっそく二つつまんでみますた。

 まず1個開けますた。グライフが出ますた。orz 2/9を引き当てるとはなかなかやるなオレ。もう1個開けますた。迷彩の日本機が出ますた。なにこれ、九九双軽? そんなの知らんぞ。#09の機種名の書かれてないシークレットって、ひょっとしてコレなの?

R0011422 うーみゅ、確率何分の一かは知りませんが、シクレ中のシクレを最初の二つで引き当てるとは。でも欲しかったのはこれじゃなーい!_| ̄|○

 ・・・考えようによっては、まだ買う楽しみがけっこう残ってるとも言えますか。6/9の確率に賭ければいいんですからねぇ。

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2009.10.24

ブログ書くヒマもないorz(ハセガワ&レベル1/72 F-101その4)

 えーと、どこまで行きましたっけ。あーそうだ、かつをぶしが5本並んだとこまででした。(^^ゞ

F101_04b_F101_04c_F101_04d__2F101_04e_
 
 
 
 次は主翼の工作になります。レベルのキットの主翼にはインテークダクトが組み込まれるのですが、これにくっついてる仕切り板が分厚い上に短すぎ。切り飛ばしてプラ板で作り直します。場所が場所だけに位置合わせとかカナーリ面倒。

F101_04a_ ハセガワのキットは主翼上下パーツにそれぞれ半分ずつモールドされています。厚みも長さもいい塩梅なので、そのままくっつけてパテ埋め整形。多少のズレはありますが気にしない方向で。(^。^;)
 

F101_04h_ インテーク内を白で塗って、主翼が組み上がりますた。真ん中にあるのはレベルのキットの胴体下に付くウェポンベイとウェポン2種2発づつです。B型のウェポンベイは回転式で、片側の面にはAIR-2Aジーニ空対空核ロケット弾(左側の大きいほう)、反対側の面にはAIM-4ファルコン空対空ミサイル(右側の小さいほう)が搭載できるようになってます。

F101_04g_ 自作したインテークの仕切り板は、どうにかハッタリが効くくらいにはなったようです。(^^)v
 
 
F101_04i_ ハセガワのキットの主翼は動翼のモールド周辺の凸凹がヒドイので、いったんパテで埋めました。再度スジを入れ直そうと思った時、「境界層板の動翼の境目はどこかいな」という疑問が沸いてきますた。キットの主翼には前縁フラップのモールドがあるのです。「世傑」の鈴木氏の図面でもそれらしく描かれていることもあって、これはあるもんだと思ってました。

 そこで実機写真をあれこれ見ているうち、どうも前縁フラップは存在しないのではないかという疑惑が持ち上がってきましてねぇ。離着陸時に主翼前縁が下がっている写真がただの一枚も見あたらないのです。前縁フラップなんて離着陸時に使わないでいつ使うというのでせう。ということで、「前縁フラップは存在しない」と結論付け、埋めたモールドには軽くパネルラインのスジを引くだけにしますた。

F101_04j_ レベルのキットの主翼には前縁フラップのモールドはないのですが、上面にヒンジカバーらしきラインがあるのでそこだけは埋めました。下面のパーツの合わせ目は「世傑」の鈴木氏の図面とは全く異なるトコロにきています。隙間や段差も大きいのできっちり埋めてスジを彫りなおしました。

F101_04k_F101_04l_F101_04n_F101_04o_
 
 
 
 ここらで気分転換に排気管を弄ります。レベルのキットは問題ないのですがハセガワのほうはアッサリしすぎ。キットの開発時期を考えれば仕方のないところですが、せめて奥に何か仕込んでやりたいところ。幸いハセガワのファントムの排気口の奥にモールドされたファンブレードがピッタリ合いそうだったので、切り出して仕込んでみました。測ったようにピッタリ(笑)。速攻で4基全てに仕込みました。ファントムの排気口なら余りまくってるのでちょうどいいです。(^o^)

F101_04p_F101_04q_F101_04r_ ではそろそろ十の字にしてやりませうかね。というところでトラブル発生。RF-101Cの主翼と胴体を組んで瞬着でガッチリ固定したあとで、よくよく見ると右のインテークベーンがずれてます。なんとかならんかとヤスリで(たまたま手近にあった太い棒がソレだったので)押し込んでみたら壊れました(走召木亥火暴)。一瞬、「廃棄処分」とか「これで作る数が減ったから楽になるかな」とか、「いやいや主翼だけなんだから、パーツをどっかから調達して」とか「いやいやこのキットは絶版扱いだから、俺怒鳴る度とかヤフオクに当たらないとモノがないぞ」とかいろんな思いが交錯したもんですよ(笑)。

F101_04s_ とりあえず風呂に入って落ち着いたら直す気になったので、その日のうちに直しました。幸い破片は無くならなかったので、瞬着で固めてヤスリ倒し。内部は白を厚塗りすれば誤魔化せます(笑)。
 

F101_04t_ ということで、ようやく5機が十の字になりました。明日いっぱいで全体塗装の下準備が終わるところまでいければいいのですが、明日は買い物に出なければならないのでどうも無理っぽ。間に合うかどうかは相変わらずビミョーな情勢です。(~。~;)

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2009.10.14

2009年館山航空基地祭『ヘリコプターフェスティバル in TATEYAMA』

Tateyama2009_01 今年は百里で戦闘機の乱舞やブルーインパルスも見たし、ヒッカムAFBまで行ってサンダーバーズまで見たしで、航空祭行きはもう十二分に堪能したのだった。11月にはJMCの展示会もあって模型製作も追い込みに掛かりつつある昨今なので、10月以降あと1ヶ所だけ行こうと考えてみると、行けそうなのは木更津(陸)、下総(海)、館山(海)、立川(陸)、入間(空)の5ヶ所。木更津、立川、入間は去年行ったし、下総はクルマで行くにはあまり面白くない。秋の行楽シーズンでもあるし、どうせならドライブがてらにしようと館山を選んだのであった。え、浜松でサンダバ? 何を仰る、それ行かなくていいようにヒッカムまで行ったんだから(笑)。
 今回はアクアラインが安いので、0538に家を出て浮島JCTまで下道を走り、アクアラインからアクア連絡道~館山道~富津館山道路と下って富浦ICまで。でもまだ0700過ぎ。やっぱり早過ぎ(笑)。とりあえずゴミを捨てようと「道の駅とみうら」に向かうも、なぜかゴミ箱が見つからず。そのまま引き返してR127をのんびりと南下、途中で海沿いに出て基地の正門前に着いたのが0750ごろ。もう駐車場に入れ始めていたので、列に着いてすぐに中へ。0800ごろにクルマを駐め、0830の開場と同時に中に入ったのであった。天気は快晴、絶好の航空祭日和である。(^^)v



 地上展示は7機種8機(うち1機は飛行展示後に展示)と2台のみで、他に格納庫内に2機(整備中の機体を装備品展示とお子さまコスプレ写真の被写体に使用)。加えてエプロンにSH-60J/KとUH-60Jが15機(うち5機は体験搭乗に使用)と陸自のCH-47Jが1機(デモフライトに使用)、格納庫内にSH-60JとUH-60Jが1機づつ確認できた。地上展示機のメダマは特になし。(゚ー゚)キッパリ
 フライトのほうは、体験搭乗を午前と午後の2回実施、飛行展示はお昼の時間帯に集中して行った。前回行った2005年とは比べモノにならない濃さであった。(^^)v


Uh60j_6802 地上展示のUH-60Jはなぜか大村の第72航空隊所属機であった。地元館山には第73航空隊のUH-60Jがいるのだが、異動直後だったのだらうか。まさかここに大村の機体がいるとは思わなかったので当日は全く気が付かず、帰ってから写真を整理していて気付いたのだった。


O_sh60k_3105 展示飛行を行ったSH-60Kのうち、8431号機が舞鶴の第23航空隊所属であったことに、これまた写真を整理していて初めて気が付いた。なおこの機体は今年納入されたばかりの新品なので、他の機体に比べて機体表面がキレイだったことよ。(*´∀`*)


K_sh60k_07_h06 格納庫内ではメインローターやスタビレーターを外した状態のSH-60Kが、周囲に装備品やエンジンなどを侍らせて(笑)展示されていた。ヘルファイアを吊った状態のSH-60Kはなかなか見られないような希ガス。その隣では陸上自衛隊第1空挺団が落下傘を吊してアピール(笑)。


 地上展示のSH-60JとKを見ていて気付いたことがひとつ。機首左右に付いているピトー管の角度が違っていて、右側のものはまっすぐ前を向いているのだが、左側のものは若干下を向いているのだ。その場にいた隊員に聞いたら理由は判らないとのこと。なんで?>えらいひと


 朝イチで体験搭乗の抽選に並んだもののあっさり外れたので(涙)、地上展示機をひとわたり見た後はロープ際で体験搭乗を行うSH-60KとUH-60Jの離着陸をマターリと見る。ふと右を見るとあいぼりいサンが地べたに座り込んでレンズを振り回していたのでご一緒する。

 1000を過ぎた頃、エプロンに置かれていたSH-60Kの8406号機が離陸の準備を始め、体験搭乗の機体に混じって離陸するといずこかへと飛び去っていった。あとで聞いたら裏番組(笑)の下総航空基地祭に現れたそうな。

 その直後、その隣に置かれていた陸自のCH-47Jが落下傘降下デモのための離陸準備を始め、1030過ぎに離陸。1050から第1空挺団の隊員6名による落下傘降下を実施した。空挺降下ではないので見応えはあまりない(笑)。

 ここで展示飛行まで1時間も空いたので史料館を見に行く。館内あちこちにプラモの完成品が展示されているのがなんとも。けっこう上手いのもあったりして。

 お昼になったのでエプロンに引き返し、そのまま第4格納庫の前に移動して展示飛行を見る。SH-60K×3、SH-60J×3、UH-60J×2とそれとは別にSH-60J×1が離陸後、どこからともなく現れた第4対戦車ヘリコプター隊のAH-1Sによる機動飛行(終了後に地上展示)、SH-60K、SH-60J、UH-60Jによる編隊航過、厚木から飛来した第4航空群第3航空隊のP-3Cによる航過飛行(1パスのみ(~。~;))、UH-60Jによる救難展示と空中消火デモ、SH-60J×3機による機動飛行(ブルーインパルスの向こうを張って(笑)コンバットピッチ、ハイスピードローパス、レベルオープナーにナイフエッジまで!w(゚O゚)w )、SH-60Jによるオートローテーションのシミュレーションと盛りだくさん。1時間でこれだけやってもらえるとさすがに見応えがある。(^^)v

 ただ、考えてみると3機上がったSH-60Kは編隊飛行を1パス実施したのみで、あとは何もしないで着陸しているのだった。まだ新しいから無理しないのだらうか。(^◇^;)



《地上展示機一覧》

【海上自衛隊】
SH-60K(第21航空群第21航空隊(館山))
SH-60J(第21航空群第21航空隊(館山))
UH-60J(第22航空群第72航空隊第72飛行隊(大村))
MB-1型化学消防車(第21航空群館山航空基地隊(館山))

《格納庫内展示》
SH-60K(第21航空群第21航空隊(館山))※装備品展示
SH-60J(第21航空群第21航空隊(館山))※コスプレ写真の被写体

【陸上自衛隊】
AH-1S(東部方面航空隊第4対戦車ヘリコプター隊第1飛行隊(木更津))
  ※飛行展示後に展示
UH-1J(東部方面航空隊東部方面ヘリコプター隊第1飛行隊(立川))
OH-6D(東部方面航空隊東部方面ヘリコプター隊本部付隊(立川))
81式短距離地対空誘導弾(高射学校高射教導隊(下志津))

《展示機以外》
CH-47J(第1ヘリコプター団第1輸送ヘリコプター群第106飛行隊(木更津))
  ※落下傘降下を実施

【航空自衛隊】
UH-60J(航空救難団浜松救難隊(浜松))

【海上保安庁】
AS332L(第3管区海上保安本部横浜海上保安部)

※展示機以外に見かけた海自機はこちら
※基地のゲートガードはこちら
※おまけ写真はこちら



 1300過ぎに展示飛行が終了すると午後の部の体験搭乗が始まったので、ここらで撤収することにする。1330に駐車場を出て、お土産でも買おうと再び「道の駅とみうら」に立ち寄ってみる。駐車場があちこちに分散していてしかも狭いのに誘導員がいないので、あちこちで車が右往左往しててちょっと危ない上に、運がないと駐車場所が見つからない(爆)。なんとか駐車場所を見つけて車を駐め、カミさんへのお土産を買って帰途に付くべく富浦ICへ。今回はETCゲートは無事開いた(笑)。まともな昼食を取り損ねていたので、途中のハイウェイオアシス富楽里でそばを食す。その後も大した渋滞もなく、通行料金が \800 になってから休日に渋滞が発生するようになってしまったアクアラインも、時間が早かったせいか渋滞なしで抜けられた。途中買い物をして1700ごろRTBしたのであった。

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2009.10.12

間に合うのか?(ハセガワ&レベル1/72 F-101その3)

F04takeoff_023F06formation_010 昨日は館山航空基地祭になど行ってみたりしてたんですが、そのレポートなどは追々上げるとしまして。ハワイ旅行から帰ってからこっち、模型の話を全然してないので、ここらで約3週間分をまとめてお送りいたしませう。(^o^)

F101_03a_ ハワイに行く前にやりかけていた脚周りは、こんな具合にまとめてから缶スプレーの銀(もちろんクレオス8番)をプーッと。ええもちろん面倒だからですとも。(^。^;)ヨホホホ
 
F101_03c__2 レベルのキットの前脚収納庫は、前脚を全部組み込んでから胴体に納めるよう指示されてますが、そんなことやったら後が大変なのでここらへんでやめておきます。
 

F101_03b_ 前脚収納庫を挟んで胴体左右を貼り合わせた後、コクピットを胴体中央部の穴から差し込んで取り付け位置にはめ込みます。この作業に悪戦苦闘。インパネの接着位置が違っているせいなのかもしれませんが、なにしろもともとその接着位置が曖昧なんですからなんともはや。前席部分の胴体内側を削ったりしながらなんとかかんとか組み込みましたが、やぱし失敗したくさいです。(´・ω・`)

F101_03d_F101_03e_ この教訓を生かして、残り2機(エースのキットのほうです)は先に前脚収納部の裏側とコクピットフロアの裏側それに前席部分の胴体内側を削り込み、さらに胴体左右を貼り合わせる時に先にコクピットを入れておく、という方法でなんとかクリアしました。いやー、ホント判りづらいわこれ。

F101_03f_ 胴体左右を貼り合わせる前にやっておいたことがありました。前脚収納庫左脇にあるエアインレットなんですが、これがピトー式とNACA式の2種類あるんですね。キットをそのまま作るとピトー式(一番奥)になるんですが、カナダ国防軍機はNACA式が多いですし(ピトー式のもある)、米空軍のは両方見られます。いろいろ調べると、どうもこれはFY58と59に発注された後期の機体(シリアルナンバーが80***か90***)がピトー式になっているようです。シリアルで見るとワタシが作ろうとしている米空軍のADC部隊の機体とカナダ国防軍機はNACA式なので、キットのパーツの取り付け穴にプラ板を貼ってそれらしく加工しました。

F101_03g_ ここまでほとんど手を入れてなかったハセガワのRF-101Cもそろそろいじってやらねばねば。機首のカメラ窓はくり抜こうかどうか悩んでいたのですが、数がたくさんあって内部工作も面倒そうなので結局そのまま作ることに。中を黒く塗ってキットのカメラ窓パーツ(もちろんクリヤーパーツ)を貼り付けます。古いキットなので下面など凸凹がヒドイので、瞬着で盛り上げておいてから金ヤスリで平面を出しつつごんごん削ってやりました。機首先端部分はもっと斜め下向きの角度が緩いしカメラ窓は大きい(上辺が長い)んですけど、ここは全体が黒くなるので気にしません。(^。^;)ヨホホホ

F101_03h_ ハセガワのキットは、垂直尾翼に左右一体の水平尾翼を挟み込むパーツ割りになっているのですが、それでは組み立て後の継ぎ目消しや塗装がしにくいのでちょいと加工。水平尾翼パーツを中央部で真っ二つにしました。これでフツーに組めます。(^^)v

 ついでに別パーツになっているエアブレーキは位置も形も違うので先に胴体に貼り付けてしまい、パテで埋めてあとでスジボリを彫りなおします。

F101_03j_ A型の機関砲フェアリングです。エアウェーブの改造パーツに付いているパーツはホワイトメタル製で、ご覧の通り機銃口が埋まってます。これでは1958年の金門島事件の時に嘉手納基地(当時はまだアメリカ占領下)に展開した27TFW所属機が、トランスパックに備えて機銃口を埋めた時の状態しか再現できません。

F101_03k_F101_03l_m_F101_03n_ 当然、開けてやります。左写真、一番手前の針ヤスリ(0.8mmのもの)で中央部に切れ込みを入れたら、ルーターにその上にある円錐形のビットを噛ませて形を整えます。最後に裏側から、写真ではルーターに噛ませてある円柱形のビットで機銃口を彫り込んでお終い。やってみたら案外簡単にできました。

F101_03o_ てことで、機首側面に瞬着でぺたり。ちょっと歪に見えますが気にしない(笑)。これでようやく戦闘機らしくなりました。(^^)v
 
 

F101_03p_ ハセガワの2機の機首。RF-101Cのほうはカメラ窓のマスキングを済ませてます。
 
 

F101_03q_ てことで、胴体が5本並びました。書き忘れてましたが、F-101Aは「機銃があるなら照準器がいるだろjk」ということで計器板フードを加工してます。もっと早くに気付いていればインパネから作り直したんですが。(^^ゞ

 これにて胴体の加工は一段落ついたので、明日からは主翼の加工に入ります。インテーク内をどう処理するか、思案のしどころです。(~。~;)ウウム

 ところでタイトルですが、何に間に合うのかって残り1ヶ月を切ったJMC寄生展示会ですがな。例によって「ミックスモデラーズ」に出すんですが、間に合えばこの5機を並べてやろうかと。間に合わない公算が大ですが。と先に言っていこう。(^。^;)ヨホホホ

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2009.10.04

読書録:「タケノコの丸かじり」東海林 さだお

タケノコの丸かじり
東海林 さだお
文春文庫
\467
2002年11月10日第1刷

2009年9月22日読了

 この本をハワイ旅行に持っていったのは果たして正しかったのかどうか。日本食には困らないホノルルではあるが、やはりそこは余所の国。ハワイで食べる「日本食」と、この本に登場する「日本の食べ物」とでは、なんとはなしに似て非なるモノのような気がする。この感覚はどこからくるのであらうか。やはり「ハワイは日本ではない」からなのだらう。←当たり前だ

 そういう場所でこの本を読むと、「日本の食べ物」はやはり日本にいないと食べられないのだなぁ、という思いを新たにするのである。ハワイ旅行など珍しくもないとはいえ、海外旅行はいろいろ気付かせてくれるものなのであった。←本の内容にはあまり関係ないような気がする

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ハワイ話(9月21-22日編)

Hawaii0909_037 とうとう帰国しなくてはならない日がきてしまいました。我が国の政治状況など鑑みるに(ちなみにホテルのテレビでNHKとFNNのニュースが一日遅れで見られました)、このまま亡命したくなったりもしたんですが(走召木亥火暴)、日本にチコを置いてきてることですし、とりあえず帰ることにします。(゚∀゚)

 JTB差し回しの空港への送迎バスは1315にホテルに来るので、それまではフリータイム。0800に起床して最後の朝食バイキングを堪能し、チェックアウトを済ませてからトロリーに乗ってアラモアナセンターへ。両親と姉一家(実家からトランクを借り、その旧式のトランクに巻き付けるTSAロック付きスーツケースベルトを姉に借りたもんで)に渡すお土産を物色します。1Fの「See's Candies」で両親には 8oz. Silver Box、姉夫婦のトコには 2lb. Chocolate & Variety にFall Gift用包装をしてもらったものを買いますた(あとでググったらここって日本にもあるんじゃん(爆)。どえらく高いけど)。マカイマーケットフードコートで昼食でも、と思ったものの、朝食が遅かったせいかまだそれほどお腹が減っておらず、結局食べないでアラモアナセンターを出てホテルに戻りました。この時点で残り1時間くらいだったので、結局昼食はホテル1階にあるマリーナ・フロント・カフェでサンドイッチとコーヒーを買い、ロビーで食べつつバスを待つことに。

 時間通りに来たお迎えのバスに乗って空港に着いたのは1400前。借りていた携帯電話を返却、ウチのトランクがきちんと運ばれているかを確認し、帰りの航空券を受け取ってチェックインします。この時点で「飛行機(ノースウェスト21便)が遅れるかも知れないので、案内表示やアナウンスに注意しててください」と聞かされました。えー、ただでさえ成田着予定が1930と遅いのにー。(´・ω・`)

Hawaii0909_177 出国ゲートを抜けて出発フロアへ。スタバでコーヒーを飲んだり本屋を眺めたりして時間を潰します。ここのフロアは窓にガラスが入っていないので外から鳥さんが入ってきます。この子はSpotted Doveと思はれ。左脚の先が無くなっちゃってるちょっと可哀想な子でした。。・゚・(ノД`)・゚・。

Hawaii0909_180 出発予定時刻まで1時間を切ってるのに、ステータスはまだ「Tentative」(未確定)のまま。「ノースウェスト航空21便は16時30分搭乗受付開始予定です」とかいうアナウンスがされてましたが、ショップなどがあるエリアだと放送が聞こえにくいので、とりあえず搭乗する10番ゲートに移動して待つことにします。すでに待合室は“難民”で溢れてました(爆)。使っていない9番ゲート側の待合室に席を確保して待ちます。

Hawaii0909_186 当初の出発予定時刻を10分ほど過ぎた頃、ようやく「飛行機の準備ができました」というアナウンス。ノースウェスト航空を吸収合併したデルタ航空のボーイング747-400が10番スポットに牽引されてきました。スポットインしても荷物や食糧などの積み込みがあるのですぐには搭乗手続きは始まらず、結局機内に入ったのは17時を大きく回った頃。出発は1時間半後れの1800ちょうどでした。このドタバタのせいで、ハワイにいるうちに両替ができませんでしたよ。(~。~;)

Hawaii0909_189Hawaii0909_191 離陸後1時間ほどでお茶とスナックのサービス(写真左)。袋の中身はピーナツでした。その1時間後、ハワイ時間で2000ごろに夕食(写真右)。これはビーフシチューだと思うのですが、メニュー表が配られずCAの人もメニューを知らなかったのでよく判らず(爆)。機内食で牛肉メニューだとたいがいあまり美味しくないのですが(笑)、これは美味しかったです。

Hawaii0909_193Hawaii0909_194 日付変更線を越えて日本時間の22日2000ごろ、今度は日本時間に合わせた夕食が出ました(爆)。ハワイ時間だと夜中の1時、そんなに腹減るわけないじゃんか(笑)。まぁそれは航空会社も判ってるのか、ここで出たのは写真の通り軽食で、左がカミさんが頼んだクロワッサンサンド、右がワタシが頼んだおそばです。まぁまぁ美味しかったかな(←結局食べたんじゃん)。

 そんなわけで、成田着もきっちり1時間半遅れて2100。空港を出て駐車場差し回しのマイクロバスに乗り、クルマを受け取って一路自宅へ。家に着いたのは2340ごろになってしまいました。あー草臥れた。てことでハワイ話もお終いです。チコは翌日動物病院から引き取ってきました。今回は当たり前ですが健康そのものでした。(*´∀`*)

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2009.10.02

Pacific Aviation Museum Pearl Harbor

 あまりにも長くなったので独立させました(笑)。ここに来るまでの話は「ハワイ話(9月20日編)」をご覧ください。

Hawaii0909_139 「Pacific Aviation Museum Pearl Harbor」の館内に入るとまず、館内の展示物の概略を説明する映画を見せられます。案内のオジサンに「君たち英語判るかね?」と(もちろん英語で)聞かれたので、「わかりまへんねん、すんまそん」と(3歳児レベルの英語で)答えたら、「Oh・・・」と思いっきり残念そうなゼスチャーをされました(笑)。映画の内容は、真珠湾攻撃の様子、ドゥーリットルによる日本初空襲に始まるアメリカの反攻、ミッドウェー海戦の勝利、みたいなことやってたような気がします(爆)。ここにはアリゾナ・メモリアルにあるようなハンディオーディオ(今はiPhoneを使ってるラスイ)を用いた日本語解説システムがないので、映画の内容がよく判らんのです。九九艦爆に乗ってたと思しきアベさんという方が、当時のことを話してた場面だけは判りましたが(笑)。館内の展示物の案内板にはすべて日本語が併記されているのですから(だから日本語解説システムがないのかしらん)、どうせだったら映画にも日本語字幕を付けて欲しいぞ。

Hawaii0909_047Hawaii0909_086_2 映画が終われば展示ホールへ。最初に目に入るのは零戦二一型です。1941年12月8日(ハワイ時間で7日)に行われた真珠湾攻撃の第二次攻撃隊に参加した、日本海軍第二航空戦隊の2番艦、空母「飛龍」戦闘機隊の西開地重徳一等飛行兵曹乗機のマーキングが施されていますが、もちろん本物ではありません。このマーキングの零戦がここに展示されているのは、第二次攻撃で被弾してニイハウ島に不時着した西開地一飛曹機(ニイハウ島事件)の、本物の残骸がここにあるからでせう(写真右)。なお、この機体そのものの来歴は、案内板によれば次の通り。

この機体は真珠湾攻撃に参加した飛行機という形で展示されていますが、実際は1942年12月に製作されたものです。残された資料によりますと、この飛行機は中島飛行機製作所で500機目として製作され、ソロモン諸島の第201飛行大隊の24航空小隊に配備されました。その後、戦闘による損傷でバラレ島の密林に放置されました。

1964年に機体が回収され、1980年代半ばに空軍記念団体のために飛行状態まで修復されました。使用できる“栄”12型エンジンがなかったために、馬力、重量、外見がオリジナルの日本エンジンに似たアメリカのプラット&ウイットニイ製R-1830型エンジンが搭載されました。

現在飛行可能な零戦の数は極めて少ないです。後期型の1機だけがオリジナルの日本製エンジンで飛行可能な状態にあります。

Hawaii0909_060Hawaii0909_052 真珠湾攻撃の概略と、使用された日本海軍の魚雷と爆弾のレプリカ。左から“25番”と呼ばれた九八式250kg対地爆弾、真珠湾攻撃用に木製の安定板を取り付けた九一式改二型航空魚雷、“80番”と呼ばれた九九式五型800kg装甲貫通型爆弾です。

Hawaii0909_070 真珠湾攻撃の朝、たまたま飛行していて日本海軍機の大編隊に取り囲まれてしまった民間小型機のエピソードは、1970年公開の映画「トラ!トラ!トラ!」でも取り上げられていますが、写真の機体はその時飛んでいたアエロニカ65C練習機の実物だそうです。

Hawaii0909_081Hawaii0909_082Hawaii0909_095 真珠湾攻撃の時、オアフ島北西部のハレイワ飛行場や中部のホイーラー飛行場から離陸して、日本海軍機を迎え撃った米陸軍戦闘機がP-40です。先述の映画「トラ!トラ!トラ!」にも描かれている、テイラー中尉とウェルチ中尉による迎撃戦が一番有名ですが、他にも数機が日本機と交戦しています。展示されているこの機体はテイラー中尉機のマーキングを施されていますが、機体そのものは当時の使用機だったP-40BではなくP-40Eです。

Hawaii0909_084Hawaii0909_083 真珠湾攻撃の3ヶ月後、1942年3月4日に行われた第二次真珠湾攻撃(日本側名:K作戦)についての展示もあります。使用された二式大艇の実機の展示は、さすがに大きすぎて無理なので模型ですが(てか現存する唯一の実機は海上自衛隊鹿屋航空基地にあるし)、さてこの模型はハセガワ1/72キットを組んだものかな?(^◇^;)

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 真珠湾攻撃からたった5ヶ月後の1942年4月18日に行われた、アメリカ陸軍のジミー・ドゥーリットル中佐に率いられた16機のB-25Bによる日本本土初空襲によって、いよいよアメリカの反攻が始まります。展示されているのはドゥーリットル中佐機のレプリカで(何機かのB-25Jのパーツを組み合わせてある)、初空襲時と同様に重量軽減のため胴体下部の旋回銃座と機首のノルデン爆撃照準器(これは重量軽減ではなく最高機密だったため)を外し、尾部銃座には外した機銃の代わりにホウキの柄を取り付けた状態を再現してあります。しかしこの展示方法だと機体全体の姿が見られないのがイマイチ。

Hawaii0909_107Hawaii0909_112Hawaii0909_123 そうして戦局の大転換点となる、1942年6月6日のミッドウェー海戦を迎えます。当時の米海軍の主力艦上急降下爆撃機であるSBDドーントレスが、大きな書き割りに描かれた日本海軍の空母赤城(だと思う)に向かって急降下し、今まさに爆弾を投下せんとす、という展示になっています(この機体の来歴を記した案内板は、迂闊にも撮影していませんでした(><))。写真右はミッドウェー海戦の趨勢を解説した案内板です。

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 ミッドウェー海戦ののち、主戦場となったのはソロモン諸島のガダルカナル島。展示は、日本軍が作りかけていた飛行場を1942年8月に占領して完成させたヘンダーソン飛行場に展開する、米海兵隊のF4F-3ワイルドキャットの同年10月当時の姿で、ガダルカナル上空で日本軍機を23機も撃墜しやがったジョー・フォス大尉機を再現してあります。ここに展開していた米海兵隊第23海兵航空群は、ヘンダーソン飛行場の暗号名を取って「カクタス航空隊」と呼ばれていたそうです。ちなみにこの機体そのものは、1943年4月に海軍に納入されたものの、そのたった2ヶ月後に故障により不時着してミシガン湖に沈んでしまったものを1991年12月に引き揚げて、飛行可能な状態に復元したものだそうです。

Hawaii0909_129Hawaii0909_135 最後の展示機はN2S-3ステアマン練習機です。真珠湾攻撃後に軍に志願した若者の中に当時18歳だったジョージ H.W.ブッシュ(言わずと知れたアメリカ合衆国第41代大統領)がおり、彼はこの練習機で訓練したのちに海軍のTBMアベンジャー雷撃機のパイロットとなったわけです。その後1944年9月の父島の無線基地攻撃任務の際に被弾、負傷するも潜水艦に救出された、という話はミリオタには割とよく知られた話ではありますが、よく判らないのは、なんでこの話がこの機体の説明板に書かれているのかということであり、そもそもなんでここにこれが展示されているのか、ということなのですよ。博物館のサイトによれば「戦争のためのアメリカの動員の物語」なのだそうですが、今までの展示の流れから外れてる感は否めないところです。

 あと、ここにはフライトシミュレータがあって、ガダルカナル上空での空戦を楽しめるそうなのですが、どうせシナリオはワイルドキャットで日本機をバタバタ撃ち落とすに決まってるのでやりませんでした。(゚∀゚)

R0011172R0011173 ひと通り展示を見終わると、もう時刻は1300過ぎ。腹が減ったので博物館のレストランで食事。メニューには日本語が併記されていましたが、店員さんは日本語判りません(笑)。店内の液晶画面には映画「トラ!トラ!トラ!」の真珠湾攻撃シーンが流れてました。食事の後はミュージアムショップでお買い物。買ったのは写真のTシャツ。日本人が買うならこの柄しかないでしょ。(゚∀゚)

 ちなみにこの博物館、現在開館しているのは「ハンガー37」部分のみで、さらに太平洋戦争の各地の戦闘を扱った「ハンガー79」(2010-2011年オープン予定)と、太平洋戦争後を扱った「ハンガー54」(2012-2013オープン予定)が控えているんだそうな。また5年後くらいに来てみたいもんであります。

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ハワイ話(9月20日編)

Hawaii0909_036 この日はパールハーバーにある「Pacific Aviation Museum Pearl Harbor」(以後PAMとす)と、その先のパールリッジセンターにある「Toys'R'us」に行く日。0600に起床して朝食バイキングを堪能し(笑)、のんびりと支度をして、0910ごろに来るであらう"Route42 Ewa Beach"行きか、ほぼ同時刻の"Route20 Airport-Pearlridge"行きに乗るべく0900ごろホテルを出ます。写真はホテルのエレベーターからの眺め。エレベーターはホテルの建物の山側の壁にへばりついていて、外側は窓になっています。

Hawaii0909_040 写真は歩いて5分ほどのトコロにある交差点の角にある、TheBusのバス停から見たハワイプリンスホテルワイキキ。二本並んで立つタワーのうち、左側がワタシたちの泊まった部屋があるダイヤモンドヘッド・タワー、右側がアラモアナ・タワーです。写真右端の電信柱にくくりつけられた黄色い小さな看板がバス停。このバス停を通るバスのルートナンバーが書かれているだけで、時刻表などないのです。

 ということでバスを待つこと数分、乗ろうと思っていたRoute42の Ewa Beach 行きがやってきました。ところがところが、昇降口付近まで人が一杯で満員通過されてしまいましたのことよ。('。`)ソンナァ

 想定外のことにうろたえて(笑)、アラモアナセンターから出る"Route40 Makaha"行きに乗るべく歩くことに。実はこちらのバスのほうが寄り道をしないので早く着くのです。歩き出してすぐ、Route20の Airport-Pearlridge 行きが追い越していきました。しまった、それに乗っても良かったんじゃん。orz

 まぁともかくアラモアナセンターに着きました。サテライトシティホールでRoute40の時刻表をもらおうと思ったら、まだ10時前なので開いてません。開くまで待とうととりあえずマクドナルドでひと休み。店内にはお年寄りの姿がやたらと目に付きます。こちらのお年寄りにとってマックは当たり前の存在でせうから、朝のひとときを過ごす格好の場所なのでせう。

R0011175 ようやく開いたサテライトシティホールでRoute40の時刻表を入手、アラモアナセンター裏手(山側)にあるバスターミナルに向かう途中で、「TRUE FRIENDS」という犬グッズのお店に入ってみました。今日はのんびり行くのです(笑)。店主の女性が日本語で親しげにいろいろ話しかけてきます。こういう店は撤退の頃合いを見計らうのが難しいです(爆)。まぁとりあえず何かは買おうと思ったものの、チコは服の類は嫌がりますし、オモチャを買ってももう見向きもしないので(爆)、ウチ用に写真の楊枝立てを買いました。これはいろんな犬種がシェフに扮して料理などを持っている、というモチーフのものなのですが、チワワが持っているのは料理ではなくお玉。なんでやのん。しかしアメリカのスムースコートチワワは、日本のソレとは別の犬種みたいですなぁ。

Hawaii0909_044 そんなこんなで、ようやく1021発のRoute40 Makaha 行きバスに乗りました。こんなにのんびりしてるんなら時刻表なんてどうでもよかったような希ガス(笑)。パールハーバーへは5年前にもバスで行ってますが、今回はその時とはルートが違うので車窓風景を楽しみながら向かいます。チャイナタウンの様子は、夜になったらいかにもヤバそうな感じですな。アリゾナ・メモリアル入口のバス停でバスを降りたのは1100ごろ。このバスはRoute20やRoute42と違ってアリゾナ・メモリアルの敷地内には入ってくれないのです。てことで道路を渡ってアリゾナ・メモリアル内へ。PAMのチケットを買うべくボーフィン・パークへ向かいます。入口で荷物を預け(5年前とは場所が変わってました)、中に入って窓口でチケットを購入。相変わらずただのレシートです(笑)。写真は5年前に写真を取り損ねた、人間魚雷「回天」の改良型です。

Hawaii0909_045Hawaii0909_046 ボーフィン・パークの外へ出て、フォード島行きの連絡バスに乗り込みます。いつの間にか観光バスにグレードアップしてました(写真を撮らなかったのが迂闊)。5年前はトロリーのお下がりだったことを考えると隔世の感があります(笑)。ほぼ満員の客を乗せて(日曜日ですからねー)バスはフォード島への橋を渡り、まず戦艦ミズーリへ。改装工事に入っているので見るも無惨な姿です(写真左)。入口前には戦艦オクラホマ・メモリアルというものが新たに出来てました(写真右)。艦名が入った銘板と犠牲になった乗組員の名前が書かれた記念碑が並んでいるだけなので、バスの中から見れば充分です。(^◇^;)

Hawaii0909_139Hawaii0909_138 ここで乗客が少々入れ替わり、続いてフォード島の滑走路跡に沿ってどんどん奥に入っていき、ようやくPAMに到着です。隣には当時の管制塔(?)が残っています(写真右)。

 ここから先、館内見物は別エントリーの「Pacific Aviation Museum Pearl Harbor」をご覧ください。あまりにも長くなってしまったので独立させました。(^^ゞ

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 博物館見物を終え、また連絡バスに乗ってボーフィン・パークに戻って預けた荷物を受け取ります。時刻は1430過ぎ。持ってきていたTheBusの時刻表を見ると、1500にRoute42のバスが来るようなので、バス停で待つことにします。写真はバス停付近で見掛けた鳥。左2枚は Zebra Dove、右2枚は House Sparrow ではないかと思はれ(クルナスさんありがとうございますm(_ _)m)。

 時間通りにやってきたバスに乗り込もうとすると、運転手のおばさんが「アンタ達どこ行くの?」と(もちろん英語で)聞いてきました。見るからに旅行者然とした夫婦がここから乗るなら、フツーは反対方向のワイキキ方面ですからねぇ。でもワタシ達にとってはこのバスで合ってるので、「パールリッジに行きまんねん」と(3歳児レベルの英語で)答えたら、車内を指さして『乗りな!』というゼスチャーを返してくれました。(*´∀`*)

Hawaii0909_149 バスに揺られて約5分、パールリッジセンターに到着です。今回はセンターの中をうろつく時間はないので、隣接する「Toys'R'us」に直行します。道すがら上空には爆音が響いてます。この日もヒッカムAFBのオープンハウスをやってるので、サンダバが飛んでいるのですよ。たまに飛んでる姿も見えたりして。うーむ。

 「Toys'R'us」内はカミさんの独壇場です(笑)。日本の「トイザらス」と違ってプラモの類は全く置いてないので、ワタシは専ら荷物持ち。ちょっといろいろあってゴタゴタしてしまいましたが(こんな時に「英語を使って話した~い!」と思いますねいorz)、なんとかかんとか切り抜けて店を出ました。バス停で帰りのバスを待つ間、そのことについてカミさんと話しをしつつ、「しかしバス来ないなぁ」と(日本語で)言ったら、隣に座っていたロコ(=地元民)のおばさんが「アンタ達何分待ってるんだい?」と(英語で)聞いてきたので、「20分くらいですねん」と(3歳児レベルの英語で)答えたら、「そのくらいどうってことないよ」と(英語で)言われました。ここはハワイですもんね、確かにその通りです(笑)。待つことしばし、やってきたRoute20のバスに乗り込みます。ロコのおばさんはアリゾナ・メモリアル入口のバス停で降りていきました。しかし、その時は何にも思わなかったんですが、考えてみればあのロコのおばさん、日本語判るってことですよねぇ。

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 1800前にホテルに戻って部屋の窓から夕陽を眺めつつ、しばし休憩。「今日はホテルの並びにあるレッドロブスターで夕食にしよう」と話してたんですが、疲れたのかカミさんは寝てしまいました。ABCストアで買ったペプシMAX(NEXじゃないよ)を飲みつつ待っていたら、起きたのは2000過ぎ。まぁ今からでも、と出掛けてみたらレッドロブスターの前にはすごい待ち行列ができてました。週末の夜は混むとは聞いてましたがこれほどとは。店は2200までなので、これでは入ってもゆっくりできそうにないのでここは諦めて、交差点のはす向かいにあるマクドナルドで済ますことにしちゃいました(爆)。実は前にアラモアナセンターのマックに入った時から気になっていたメニューがありまして。日本では未発売の「ANGUS THIRD POUNDERS」というのが美味そうに見えるんですな(笑)。ということでここぞとばかりにオーダー。これは3種類あるんですが、ワタシは bacon&cheese、カミさんは delux を選びました。これは(・∀・) イイ! 量も味もかなりイケてます。さらにカミさんは「Haupia Pie」もオーダー。これ、いま調べたらハワイのマックでの期間限定商品で、ハウピアってのはココナツミルクの寒天デザートなんだそうな。

Hawaii0909_168Hawaii0909_172 そんなこんなで、ハワイ3日目の夜も更けていくのでありました。明日は帰国日。もう帰るのかい。(´・ω・`)

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