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2010年8月

2010.08.29

読書録:「僕の見た「大日本帝国」」西牟田 靖

僕の見た「大日本帝国」
西牟田 靖
角川ソフィア文庫
\895
2010年7月25日初版

2010年8月29日読了

 戦争物企画第2弾はあまり肩の凝らなそうなモノにした。1970年生まれの著者が日本じゅうをくまなく走るバイクツーリング中、ふと行ってみたくなったサハリン。そこで見た鳥居が著者の好奇心を呼び覚まし、台湾、朝鮮半島、中国東北部(かつての満州国)、さらにマリアナ諸島、パラオやミクロネシアのチューク諸島(トラック諸島)にまで脚を伸ばし、そこに残る「かつての大日本帝国」の痕跡を訪ねて回る旅へと“進化”そして“深化”していったのだった。

 それぞれの土地で「かつての大日本帝国」の痕跡は、あるいは忘れ去られたり、あるいは日常の一部となっていたり、ノスタルジーや憎しみの対象となりもすれば、はたまた商売道具になったりと、様々な形で確かに残っていた。それは、今そこで暮らす人々が「かつての大日本帝国」をどう捉えているのかが、形になって現れたものなのだ。

 これは昔風に言う「ノンポリ」な著者だからこそ書けた本ではないかと思う。本書では政治的傾向はほとんど感じられない。そういった『色眼鏡』を通さない、見たままの姿をそのままに写し取っているため、本書の内容はすんなりと頭に入ってくる。この手の題材でそんなモノの見方ができる著者が、ワタシとしてはある意味うらやましい(笑)。

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横田AFBオープンハウス“フレンドシップ・フェスティバル2010”

Panfu04 今年の横田は8月21日(土)22日(日)の2日間。今年もラプたんが来るらすい。去年の横田で“FF”を、ヒッカムで“AK”を見てるので、まぁそれほどガッつかなくても、と思ってたら前日になって「来るのは“HO”」との情報が。そういうことなら話は別だ。(`・ω・´) シャキーン

 ということで21日土曜日。昨年同様0800には第5ゲート前の交差点に着いていたのである。信号待ちの時にふと横を見ると、名古屋から遠征されてきた“飛鰯”野田さんの姿が。談笑していると携帯にねこすけさんから着信があったので、信号を渡ってゲート脇の歩道で待機するねこすけさんSuematsuさんに合流。有り難や有り難や。昨年同様に簡単だった手荷物検査を抜けるのに1時間、すぐに三氏三様の目的地(笑)に向かいエプロンめがけて突進していったのである。(゚∀゚)



 地上展示機は30機種38機で昨年とほぼ同じ。米空軍のF-15やE-3がおらずF-16がずいぶん減ったが、その分をなぜか空自機が埋めた感じ。そしてメダマ展示は今年もラプたん! そしてなぜか空自のC-1FTB、そしてド外来(笑)のフランス空軍ハークと、飛行展示がなくとも見所はそれなりにあったのだった。


F22a_01 ということでまずはラプたん。ニューメキシコ州ホロマン基地から嘉手納基地に展開中の 49th FW/7th EFS(Expeditionary Fighter Squadron=遠征戦闘飛行隊。本来の飛行隊名は FS だけだが、今回の嘉手納への派遣任務に際し臨時に付けられている)“Screamin' Demons”所属のF-22Aが2機展示された。昨年に続いての大盤振る舞いである。ラプたんは海外では欧州の大きなエアショーなどで飛行展示を見せるものの、地上展示でじっくり見せてくれるのは横田だけなのである。そんなわけで今回はマーキングを中心にクローズアップを撮りまくり。


C1ftb_c07 岐阜以外では滅多にお目に掛かれない、ADTWのC-1FTBがこんなところに。唯一の銀色のC-1であり、それに機首の標準ピトー管とか機体各部の謎の出っ張りとか何かを外した跡とか、機体自体が実に興味深い。これも関東地方でじっくり見られる機会はそうそうないのである。


O_faf_c130h30_08 毎年何らかの外来機が飛んだり降りたりする横田であるが、今年目の前で上がっていった外来機はワタシ的にチョー貴重品。フランス空軍BA123(オルレアン空軍基地)からはるばるやってきた、ET61(第61空輸航空団)所属のC-130H-30である。日米以外の国籍マークを見たのは、もう忘れたくらい昔の厚木で見たカナダ国防軍のCP-140とか、横田で見たニュージーランド空軍のボーイング727以来だと思う。しかも機体も日本では珍しいストレッチ型ハーク。ラプたんだけでも美味しいのに、こんなのまで見れるとは。(*´∀`*)


C17a_03 ヒッカムのC-17A2008年にも展示された“SPIRIT OF KAMEHAMEHA - IMUA”。2年経って機首周りの塗装が剥げチョロゲになっているのがなんとも。(^◇^;)


 昨年は韓半島から退去して押し寄せたF-16だが、今年は三沢の4機のみ。米韓合同軍事演習のカラミだらうか。でもA-10Aは来てるしなぁ。


A10a_163_02 そのA-10であるが、25th FSは3月からC型の受領を開始している。しかしA/C型は外観ではほぼ識別不能、またC型に改造された機体のシリアルナンバーもあまり判明していないので、これがどちらなのか判らない。コクピットを見せてもらえばすぐに判るのだが(C型はグラスコクピット化されている)、コクピット公開の列に並ぶのは面倒だったのでそれもせず。みんな暑さが悪いんじゃ。(゚∀゚)


Fa18d_vk07_02 海兵隊からは岩国のMAG-12に配備されているVMFA(AW)-121VMFA(AW)-224のF/A-18D(N)が2機づつ参加。VMFA(AW)-224の1機がカメラノーズ付きで胴体下にライトニングIIポッドを吊っていたのはいいのだが、塗りのほうは“VK”のナイトの目が赤かった以外色気無しだったのが残念。


O_channee_04 エプロン地区のクルマの展示、“GUNFIGHTERS”にはもちろん美味しい光景が。今年はパラソル持ってマスタ!(;´Д`)ハァハァ

 美味しいと言えば帰りがけに通りかかった3-on-3の試合会場には、去年も見掛けた yokota High School のチアガールの姿が。このまま試合を見てればハーフタイムショーで華麗な演技が見られたのだらうが、もうこの時には暑さで気力が尽きていたのだった。クロヒョウの着ぐるみの中の人は大変だったろうなぁ。



 会場の外れで見掛けたフォークリフトなどの作業用車。巨大である(笑)。こういうのもちょっと萌える。(*´∀`*)


 フライトのほうは例によってあまりなく、地元のUH-1NC-12Jがちょこちょこ飛んでいたくらい。C-130Hは22日に飛んだそうな。今年は去年のU-2みたいなサプライズはなかったので安心である(笑)。


【地上展示機と所属部隊一覧】

【アメリカ空軍】
C-130H(374th AW/36th AS[YJ](http://kwat01.web.fc2.com/airshow/yokota AFB))
C-12J(374th AW/459th AS (http://kwat01.web.fc2.com/airshow/yokota AFB))
UH-1N(374th AW/459th AS (http://kwat01.web.fc2.com/airshow/yokota AFB))
C-17A(15th AW/535th AS[HH](Hickam AFB,HI))
KC-135R(18th WG/909th ARS[ZZ](Kadena AFB))
F-16CJ(35th FW/13th FS[WW](Misawa AFB)) ※飛行隊長機
F-16CJ/DJ(35th FW/14th FS[WW](Misawa AFB)) ※CJ×2機、DJ×1機
F-22A(49th FW/7th EFS[HO](Holloman AFB,NM))
  ※2機、1機は49th OG司令官機
A-10A(51st FW/25th FS[OS](Osan AFB, Korea)) ※2機
MC-130H Combat Talon II(353rd SOG/1st SOS (Kadena AFB))

【アメリカ海兵隊】
F/A-18D(N)(MAG-12/VMFA(AW)-121[VK](MCAS Iwakuni)) ※2機
F/A-18D(N)(MAG-12/VMFA(AW)-224[WK](MCAS Iwakuni))
F/A-18D(RC)(MAG-12/VMFA(AW)-224[WK](MCAS Iwakuni))
UC-12F(H&HS Iwakuni (MCAS Iwakuni))

【アメリカ海軍】
SH-60B(HSL-51[TA](NAF Atsugi))

【アメリカ陸軍】
UH-60A(78AvBn (Camp Zama))

【航空自衛隊】
F-15DJ(第6航空団第306飛行隊 (小松))
RF-4E(偵察航空隊第501飛行隊 (百里))
T-4(航空総隊司令部飛行隊 (入間))
C-1(第2輸送航空隊第402飛行隊 (入間))
YS-11FC(飛行点検隊 (入間))
F-2B(飛行開発実験団 (岐阜))
C-1FTB(飛行開発実験団 (岐阜))

【海上自衛隊】
P-3C(第4航空群第3航空隊 (厚木))
SH-60K(第51航空隊第513飛行隊 (厚木))
LC-90(第61航空隊 (厚木))

【陸上自衛隊】
UH-60JA(第12旅団第12ヘリコプター隊第1飛行隊 (北宇都宮))
CH-47JA(第12旅団第12ヘリコプター隊第2飛行隊 (相馬原))
AH-1S(東部方面航空隊第4対戦車ヘリコプター隊第1飛行隊 (木更津))
UH-1J(東部方面航空隊東部方面ヘリコプター隊第1飛行隊 (立川))
OH-6D(東部方面航空隊東部方面ヘリコプター隊本部付隊 (立川))

【民間】
パイパーPA-28R-200アロー(日本モーターグライダークラブ)
セスナ172(横田飛行クラブ) ※元空軍のT-41Aメスカレロ

【展示機以外】
C-130H-30(French Air Force ET61 (Orle'ans-Bricy・BA123))
C-130H(374th AW/36th AS[YJ]) ※1機は347th OG司令官機

オマケの写真はこちら



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2010.08.21

横田行ってきますた!(^o^)/

Dsc_3215R0014155Dsc_3356 今年も来ますたラプたんが! 現在嘉手納に展開している機体のうち、49FW/7FS所属の2機が増槽付きでやってきますた。これで去年の横田の FF、ヒッカムの AK に続いて HO もゲト。来年は HH 来ないかな。←来ません

 他にもなぜかC-1FTBとか(ノーマルのC-1も来てたのに)、目の前で上がっていったフランス空軍のハークとか、それなりに見所があって良き哉。レポートは後ほど。

R0014191 もちろん今年もオネーチャンは健在でした!(`・ω・´)

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2010.08.16

読書録:「蟻の兵隊」池谷 薫

蟻の兵隊
日本兵2600人山西省残留の真相
池谷 薫
新潮文庫
\438
2010年8月1日発行

2010年8月14日読了

 今年の戦争物企画第1弾。申し訳ないことにこの話はこの本で初めて知った。日本政府による昭和20年8月15日のポツダム宣言受諾後に、千島や南樺太に攻め込んできたソ連軍との戦いやそれによる悲劇は、近年少しずつ知られてくるようになったように思える。だが、同様に8月15日以後も戦争を続けざるを得なかった、中国・山西省でのこの話は、たぶんほとんどと言っていいくらい知られていないのではないだらうか。

 中国・山西省に派遣されていた北支派遣軍第一軍の司令部と、現地の軍閥の首領の密約により、日本のポツダム宣言受諾後も半ば騙された形で現地に残された北支派遣軍第一軍の将兵たち、その数およそ2,600名。彼らは混乱のさなかで国民党軍の一部である現地の軍閥の軍隊に編入され、国共合作が崩れた後の共産党軍と3年8ヶ月もの長きにわたり戦うことを強いられたのである。この間に550名あまりが、本来なら落とさなくてもいい命を落としたのであった。そして生き延びて帰国した者たちは、書類上「現地除隊」扱いとなっていたため軍人恩給しか支給されず、また共産党軍の捕虜となった後に帰国した者は、「アカのスパイ」として公安にマークされ日常生活にも支障が出る始末。彼ら『蟻の兵隊』が「軍命」で残留したことを証明しようにも厚生省(当時)は、共産党軍との戦いのさなかに「日本で義勇軍を募る」などの名目で先に帰国してしまった、北支派遣軍第一軍の元司令官や高級参謀による自らの保身目的の言い分を公式見解とするのみ。そして訴訟を起こすも結局敗訴してしまうのである。

 現地残留を決めた密約は、結局陸軍上層部のどこまでが知っていたのか。また現実問題として残留した者がいることを、第一復員省(敗戦後に陸軍省を改組)はどこまで掴んでいたのか。どこかに残留将兵を救う手立てはなかったのか。もう彼ら「蟻の兵隊」たちはそのほとんどが鬼籍に入られてしまったが、せめて名誉回復だけはさせてやりたいものだと思う。そのためには、まずこの事実が広く知られることが大事なのではないだらうか。

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2010.08.12

盆休み!(レベル&マッチ1/72ハンター その8)

 今日(11日)から15日までお待ちかねのお盆休みです。それはそうと約1ヶ月もハンター製作記の間が開いてたってマジっすか? 模型メインのブログのはずなのに、そりゃありえねーっしょ。_| ̄|○

 てことで、この1ヶ月間にやったことなど。

Hunter_08a1_Hunter_08a2_Hunter_08a3_Hunter_08a4_ バQのキャノピーの切り出しは初めてだったんですが、なんとか上手くいったっぽい。でもこれを胴体に乗せてみると、当然のごとく合わないわけですよ。計器盤のフードもでかくて干渉するし。そこでウインドシールドとキャノピーを切り離してしまいました。キャノピーを開状態にして、ウインドシールドと胴体を合わせるだけで済まそうという魂胆です(爆)。計器盤フードも削りまくって、なんとか収まるようになったっぽいです。

Hunter_08b_ 計器盤のフードとか射出座席後方の隔壁とかが黒く塗られた皆さん。ウインドシールドを付ける前に、計器盤フード上の照準器を付けてやらねばなりませぬ。ドイツレベルのキットにはパーツがありますが、複座型の2機にはそんな気の利いたモノはありません。自作してやらねばなりませぬ。幸い単座型のうちP.1067とGA.11は照準器を付けないので、この2機分のパーツをマッチのT.7に使うことにして、PJプロダクションのT.8用に2個自作することにします。

Hunter_08c1_ 切り出したのはハセガワのジュラルミンフィニッシュのパッケージ。この薄い透明プラ板を照準器のガラスに使おうと思ったのですが、考えてみればこれ、素材がPETなのでフツーのプラ用接着剤では付かないのですな。

Hunter_08c2_Hunter_08c3_Hunter_08c4_ そこで加工性の良さを生かしてそれは照準器左右の部分に使うことにしました。接着剤では付かなくても塗料でくっついていればなんとかなるでせう。ということでもう、一足飛びにウインドシールドをゼリ瞬でくっつけてしまいました。ちょっとしくじったっぽいですが、気にせず先に進みます。ここまで来たのに、またスペアのキャノピーの切り出しからやり直すのはちょっとツライ。(^◇^;)

Hunter_08g_ マッチのT.7は、ドイツレベルのキットの余りパーツを2つ並べてお終い。とはいってもフードを一部削ってやる必要がありましたが。
 
 

Hunter_08e1_Hunter_08e2_ 次はドイツレベルとマッチのクリヤーパーツを切り出します。こっちは楽勝と思いきや、ドイツレベルのほうに大きな落とし穴が。ゲートの位置があまりよくありません。いちおうフレームの部分ではありますが、余裕がなさすぎてちょっとしくじるとキャノピーの透明部分にまでクラックが入ってしまうのです。9機分切り出したうちの3機がそうなってしまいました(写真右の右側)。パブラの改造パーツには単座型なのにバQキャノピーが入っている理由がやっと判りましたよ。(~。~;)

Hunter_08f_ マスキングゾルを塗りたくった状態のウインドシールドとキャノピー。マスキングゾルはガイアノーツのものを使いました。昔のグンゼのそれを彷彿とさせる使い勝手の良さで良き哉。この後の切り出しもノーストレスで、塗るための筆が付いていないなんてのは、この使い心地の前には些細なことです。

Hunter_08h_C1079535C1218050 ということで、現在はこの状態。単座型の照準器は、キット指定の向きを上下逆にして、取り付け部の出っ張りを一部削り取ってから付けました。そのほうが横から見た時に実機っぽいです。いつもならここでキャノピーの仮留めをするのですが、今回はこの状態で全体塗装に入ります。ハンターのキャノピーはちょっとフツーとは違っていて、キャノピー後端部の枠がなく、そこがドーサルスパインに重なるような形になっています(実機写真参照)。なのでここでキャノピーを付けてしまうと、重なる部分のドーサルスパインが塗れなくなってしまうのです。

 てことで、次はコクピットとインテーク内と排気口内をマスキングして、いよいよ全体塗装に入るわけです。駄菓子菓子、ここで前のエントリーに書いたような楽しいオモチャがやってきてしまったので、果たしてお盆休み中に全体塗装に掛かれるものなのか、本人にも判りません。(゚∀゚)

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2010.08.11

フィルムスキャナが来た!(*´∀`*)

R0014083 密林書房に頼んでいたフィルムスキャナが夕刻に届きました! 今まで手持ちのフラットベッドスキャナと、nif者いでりんから借りたSCSI接続の古いフィルムスキャナを使ってやってみたわけですが、結果は散々たるものでとても使い物にならなかったわけで。ということで、さっそく試してみたわけなんですよ。結論:これは(・∀・) イイ!


 左が今回買った「ネガスキャナ(画面サイズ2.4インチ) bg7683」です。これ、たぶんOEM製品で、右がそのOEM元であらう、キャビンの「コンパクトフィルムスキャン 35 CFS-2.5」です。実はワタシがbg7683をポチった先週7日の時点では、これ \6,000 で売られてたんですが、さっき密林を見たらなんとまぁ、OEM元と変わらない値段に跳ね上がってました。

0001000200030004 ということで、取り込んだ結果がこれ。この4枚はこのエントリーで使ったのと同じ写真です。左の2枚が取り込んだ画像を何も弄らず縮小(幅2520pixel→800pixel)だけしたもの、右2枚はトリミング、画像のゴミ取り、色補正などしたものです。この画質が1枚およそ5秒でスキャンできるんですから、ワタシ的にはもうこれで充分です。なにしろフラットベッドスキャナでスレーブ2本を 1,200dpi でスキャンするのに1時間掛かっていたのが、このフィルムスキャナだと 1,800dpi でスキャンできて、しかもスレーブを入れ替える時間を含めてもスレーブ2本で5分かかりませんのですよ奥さん!(゚〇゚;)

 本体の大きさは500mlの缶ビールくらいで、AC電源で動きます。AC→USB変換アダプタを噛ましてUSBケーブルで給電するのですが、オリジナルのキャビン製でもACアダプタが同梱されているので、パソコンに繋いでバスパワーで動くというわけではないみたいです。スキャンしたデータは本体背面に挿したSDカードに保存されます。これを後でパソコンに読み込ませるという寸法。電源を入れてSDカードを挿し(この順番を間違えるとイクナイみたい)、ホルダーにセットしたスレーブを本体右側からスロットに差し込んで、正面の2.4in液晶画面に写し出される画像を見て「OK」ボタンを押してスキャン、画像を確認して再び「OK」ボタンを押して保存したら、ホルダーを左に一コマ分手で動かして次の写真をスキャン。この繰り返しでサクサクとスキャンできます。

 SDカードに保存されたデータのファイル名は「PICT0001.JPG」から始まる連番になっていますが、タイムスタンプはなぜか「2008年1月1日12時00分」から始まります。ファイル名はフィルムスキャナ側では変更できないので、こまめにデータをパソコンに移してパソコン側にフォルダを作って管理するほうが良さそう。

 てことで、『そうだ、フィルムスキャンしよう。』と思い立ってから早1年、ようやく強力なツールを手に入れることができたようです。あとはヒマを見てスキャンするだけです。模型も作らなきゃ、ではありますが。(^。^;)ヨホホホ

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2010.08.01

読書録:「明るいクヨクヨ教」東海林 さだお

明るいクヨクヨ教
東海林 さだお
文春文庫
\467
2003年2月10日第1刷

2010年7月31日読了

 今回は対談が2本。「老人力」の生みの親である赤瀬川源平氏との対談は、まるで『こんにゃく問答』でそれ自体が「老人力」の見本のようであり、「おにぎり顔」でお馴染み南伸坊氏との『巨顔会談』は、自らの巨顔に誇りを持とう!といいつつ恥ずかしがっているショージ君の様子がなんとも可笑しい。

 一方、ショージ君の興味のアンテナは相変わらず様々なところに向いているようである。サッカーや冬季オリンピックに苦言を呈し、最後の花魁ショーに惜別の情をくれたかと思えば、寅さん映画に出てくるような典型的な「商人宿」を体験し、服にまつわる様々なモノを哀れだと思う。かと思えばソバ屋のお品書きの序列について深~く考察し、本場の薩摩揚げを食べに鹿児島へ行ったかと思えば、松茸を堪能しに長野へと出向き、秋田音頭に出てくる食べ物を制覇しようと秋田に行って雪で滑る。困ったことに、それらについて書かれたもの全てが面白いのである。ショージ君目線は全てを「面白いモノ」に変えてしまうのだった。

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2010年航空自衛隊百里基地航空祭

Hyakuri2010 今年は基地の対岸(違)に茨城空港が開港してから初の航空祭であり、また4年ぶりの7月開催ということもあって、危惧されたのが次の2点。すなわち「基地西側の駐車場がなくなったことによる、駐車場争奪戦の激化」と「真夏の車中泊で寝られるのか」ということである。なお、21世紀になって開催された百里基地航空祭では、前日とか前々日とか当日とかに必ず雨が降っていたのであるが(2003年9月→当日台風、2004年9月〔サンダバの年〕→当日雨、2006年7月→前々日まで雨続き、2007年9月→前々日台風、2009年9月→前日雨。なお2001年は“911”の余波で中止、2002年、2005年、2008年は航空観閲式のため航空祭はなし)、今年は幸いにも晴天続きで当日も朝から曇り時々晴れの好天。もっとも航空祭が終わった後で豪雨になったようだが。

 まぁそんなわけで、今年も前夜の24日2216に出発。2時間少々掛かって0024に南門到着。すでに駐車場は開いていてすんなり駐められた。となると危惧の2点目「真夏の車中泊で寝られるのか」が心配になってくる。たまに雨がぽつりぽつりと落ちてくるし、真夜中なのに蒸し暑いことこの上ない。最初はエンジンを止めて窓を半分開けて寝ようと思ったのだが、あまりの蒸し暑さに30分もしないで断念。結局、窓を閉めエンジンを回してエアコンを掛けたまま、どうにか0730ごろまで寝ることができたのだった。



 そんなこんなで明けて25日の航空祭。今年のメダマはやはり“ダンダラ”であらう(笑)。地上展示機は20機種32機(格納庫内展示、ブルーインパルスの7機、用廃機(後述)含む)で概ね例年通り。地元のF-15やRF-4Eがなぜかエプロンでの地上展示に入っていなかったが、代わり(ではないだらうが)に陸自ヘリが3機に米軍機が4機もいたのが意外。機種的には目新しくはないが賑やかしにはなる(笑)。エプロンの北端にペトリオットシステム、91式携帯式地対空誘導弾(SAM-2)、20mm対空機関砲(VADS-1改)、81式短距離地対空誘導弾(短SAM)、移動管制塔といった装備が展示されていたのは例年通り。また昨年同様、格納庫3棟に実機を配して、それぞれ兵装と装備品コクピット解放脚の上げ下げデモを行っていた。

 飛行展示は概ねプログラム通り。とはいえ天候の関係でブルーインパルスの演技が縮小されたのは残念。また、喜ばしいことではないが午後になって百里救難隊に実出動が掛かったりもした。



F05_005 まずはファントムの“ダンダラ”塗装機。言うまでもなくあのマンガの塗りである。やはり『百里のファントム』といえばこれだらう(そう思うのは中年@ヲジだけかな(^◇^;))。機番と部隊マークがそのままなのは残念だが(それをいうなら機体塗装そのものだって(笑))、現行塗装にはない機首上面のアンチグレア塗装が再現されているのは(・∀・) イイ! しかもこの機体がデモスクランブルから続けて対地射爆撃展示をしてくれたのだから言うことナシ!


O_rf4eej_05 同じく地元第501飛行隊、今年は恒例のシャークマウスのほかに左右のインテークベーンに飛行隊創設49周年記念マークが描かれていた。「49」という数字は半端な気もするが(笑)。


Kw_rf4ej_02 どういうわけか今年は、地元戦術飛行隊の機体がエプロンで地上展示されておらず、格納庫内展示のみだった。“ダンダラ”も飛行展示が終わったら引っ込んでしまったし。しかも格納庫内のRF-4EJに至っては用廃機で、射出座席や計器盤がすでに下ろされた後だった。これはかなり寂しいジャマイカ。ヽ(`Д´)ノウワァァン!!


 今年は“ステルス機”はおらず。さすがに同じネタを3年続けるのは無理か(笑)。


 空自以外の展示、陸自からは霞ヶ浦校のAH-64Dがお目見え。百里航空祭ではもちろんお初である。ワタシ的にはもはや目新しいわけではないのだが(爆)。また、第4対戦車ヘリコプター隊のOH-1は機首上面に“忍”マークが描かれた機体であった。


O_f15c 米軍機がなぜか4機。空軍のF-15Cが2機KC-135R、海兵隊のUC-12Fが展示されていた。隊員は格納庫内で店を広げて、物販に余念がなかったのは言うまでもない(笑)。


F02_048 飛行展示は、まずは開門直後から第302飛行隊のF-4EJ改と第305飛行隊のT-4による、天候偵察を兼ねたオープニングフライト

 次いでF-15J/DJ×4、F-4EJ改×4、RF-4E×3が航過飛行のために離陸。沖合に出て隊形を整える間に、UH-60Jがパラシュートジャンパーを乗せて離陸、はるか上空からのパラシュートジャンプを見せる。日射しがまぶしくてジャンプの瞬間が見えなかった(爆)。

 先ほど上がった各機が編隊を組んで戻ってくると、最初の大編隊の航過飛行に続いて第305飛行隊のF-15Jが単機で機動飛行。さらに機種別に編隊を組んで航過飛行を行い着陸。百里救難隊による救難展示はおおむね例年通りであったが、U-125Aからのマーカー投下がなかったのが物足りず。最後に観客の前をパスするUH-60JをU-125Aが追い抜くというパフォーマンスを見せる。

 次は“ダンダラ”ファントムによるデモスクランブル。一日基地司令を務めた「いばらき夢ガイド」の大澤幸子さんが発進合図のボタンを押し、“ダンダラ”の2機が離陸すると、そのまま空対地射爆撃デモ。湿度が高いので主翼上面が真っ白になるくらいベイパーをひいて飛び回ってくれた。大満足。午前の部最後は第305飛行隊のF-15Jによる2度目の機動飛行。内容は1度目とほぼ同じだったが、ちょっとだけハデだったような気もする。

F08_065 昼休みを挟んで第501飛行隊のRF-4EJ 2機による戦術偵察デモ。とはいっても2機とも偵察ポッドを吊っていない「戦闘機形態」であったが。こちらもベイパー引きまくりでガンガン飛び回り、あまりの激しい動きにカメラが追いつかず(爆)。トリはブルーインパルス。パイロットが搭乗してエンジンを回し始めたところで、6番機に不具合が出たとかで予備機にチェンジ。しかもエンドに着いたら先に5番機を上げて天候調査をするとのこと。5番機がローアングル・キューバンで上がってから待つことしばし、どうも上空の天候や視程などが芳しくなかったらしく全機が単機で離陸。ダーティターンのあとはリーダーズ・ベネフィット、ポイント・スター、スワンでの編隊航過、レベル・オープナー、レター・エイトといった若干の機動飛行に、ソロの航過科目(フォー・ポイント・ロールとかスローロールとか)を織り交ぜた“スペシャルバージョン”の展示飛行を行った。地上から見ていると晴れてるのに、と思ってしまうのでかなり物足りない的。(~。~;)



Of_arw_005 ブルーインパルスの離陸準備中に、百里救難隊に出動命令。埼玉県防災ヘリの墜落事故に対する災害派遣要請が出たためで、U-125A×2とUH-60J×2が押っ取り刀で離陸していった。目の前で実出動を見る機会はそうそうないわけではあるが、事故のほうは極めて残念なことになってしまったので、素直には喜べない。(´・ω・`)


O_junk_10 今年も南門を入ってすぐのところが『ファントムの墓場』となっていた。今年確認できたのは、F-4EJ改の #302、#319、#381(ノーマーク)、RF-4EJの #371、#372、#373、#374、#412(記念マーク入り)の8機。#381 とRF-4EJの全機は、格納庫内で展示されていた #376 も含めて昨年もここに集積されていた機体である。#376 と #412 は用廃機なのにインテークベーンにマークを描いたということになるわけだ。また、さる筋からの情報によれば #302 はゲートガードにする予定なのだそうだが、予算不(ry


【地上展示機と所属部隊一覧】

【航空自衛隊】

F-4EJ改 (第7航空団第302飛行隊(百里))
 ※3機、うち2機は“ダンダラ”塗装でデモスクランブルを実施
U-125A (航空救難団百里救難隊(百里))
UH-60J (航空救難団百里救難隊(百里))
F-2A (第3航空団第8飛行隊(三沢))
T-4 (第4航空団第11飛行隊“ブルーインパルス”(松島)) ※7機
T-400 (第3輸送航空隊第41教育飛行隊(美保))
C-130H (第1輸送航空隊第401飛行隊(小牧))
C-1 (第2輸送航空隊第402飛行隊(入間))
E-2C(警戒航空隊飛行警戒監視隊(三沢))
T-7 (第11飛行教育団(静浜))
U-4 (航空総隊司令部飛行隊(入間))
CH-47J(LR) (航空救難団入間ヘリコプター空輸隊(入間))
軽装甲機動車、移動管制塔、ペトリオット、短SAM、VADSなど

《格納庫内展示》

F-4EJ改 (第7航空団第302飛行隊(百里)) ※3機
T-4 (第7航空団第302飛行隊(百里)) ※2機
F-15J (第7航空団第305飛行隊(百里)) ※2機
RF-4EJ (偵察航空隊第501飛行隊(百里)) ※用廃機(´・ω・`)

《展示機以外》

F-4EJ改 (第7航空団第302飛行隊(百里)) ※飛行展示用
F-15J/DJ (第7航空団第305飛行隊(百里)) ※飛行展示用
RF-4E/EJ (偵察航空隊第501飛行隊(百里)) ※飛行展示用
T-4 (第7航空団第305飛行隊(百里)) ※飛行展示用
U-125A (航空救難団百里救難隊(百里)) ※飛行展示用
UH-60J (航空救難団百里救難隊(百里)) ※飛行展示用
F-4EJ改 (第7航空団第302飛行隊(百里)) ※格納庫内で整備中?
F-15J (第7航空団第305飛行隊(百里)) ※格納庫内で整備中?
RF-4E (偵察航空隊第501飛行隊(百里)) ※格納庫内で整備中?

【陸上自衛隊】

OH-1(東部方面航空隊第4対戦車ヘリコプター隊本部付隊(木更津))
AH-1S(東部方面航空隊第4対戦車ヘリコプター隊第2飛行隊(木更津))
AH-64D(航空学校霞ヶ浦校(霞ヶ浦))

【海上自衛隊】

P-3C(第4航空群第3航空隊(厚木))

【アメリカ空軍】

F-15C(18th WG/44th FS[ZZ](Kadena AB))
F-15C(18th WG/67th FS[ZZ](Kadena AB))
KC-135R(18th WG/909th ARS[ZZ](Kadena AB))

【アメリカ海兵隊】

UC-12F(H&HS Iwakuni(MCAS Iwakuni))

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 今年はブルーインパルスがあっけなく終わってしまったので、改めて格納庫内の展示など眺めつつ駐車場へ。クルマに乗ってさぁ出ようとしたのが1500ごろ。クルマが動かない(爆)。徒歩でも5分かからないところを50分かかって、ようやく潮来に向かう道に入るが渋滞は続く。昨年の教訓を生かして予め調べておいた通りに、芹沢交差点で右折してその先の渋滞を迂回し、榎本交差点でいつもの県道50号に戻って潮来ICまで走り、東関道で都心を目指す。あちこち詰まった都心方面の首都高をじりじりと抜け、19時過ぎにようやく帰宅できたのだった。

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