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2010.08.16

読書録:「蟻の兵隊」池谷 薫

蟻の兵隊
日本兵2600人山西省残留の真相
池谷 薫
新潮文庫
\438
2010年8月1日発行

2010年8月14日読了

 今年の戦争物企画第1弾。申し訳ないことにこの話はこの本で初めて知った。日本政府による昭和20年8月15日のポツダム宣言受諾後に、千島や南樺太に攻め込んできたソ連軍との戦いやそれによる悲劇は、近年少しずつ知られてくるようになったように思える。だが、同様に8月15日以後も戦争を続けざるを得なかった、中国・山西省でのこの話は、たぶんほとんどと言っていいくらい知られていないのではないだらうか。

 中国・山西省に派遣されていた北支派遣軍第一軍の司令部と、現地の軍閥の首領の密約により、日本のポツダム宣言受諾後も半ば騙された形で現地に残された北支派遣軍第一軍の将兵たち、その数およそ2,600名。彼らは混乱のさなかで国民党軍の一部である現地の軍閥の軍隊に編入され、国共合作が崩れた後の共産党軍と3年8ヶ月もの長きにわたり戦うことを強いられたのである。この間に550名あまりが、本来なら落とさなくてもいい命を落としたのであった。そして生き延びて帰国した者たちは、書類上「現地除隊」扱いとなっていたため軍人恩給しか支給されず、また共産党軍の捕虜となった後に帰国した者は、「アカのスパイ」として公安にマークされ日常生活にも支障が出る始末。彼ら『蟻の兵隊』が「軍命」で残留したことを証明しようにも厚生省(当時)は、共産党軍との戦いのさなかに「日本で義勇軍を募る」などの名目で先に帰国してしまった、北支派遣軍第一軍の元司令官や高級参謀による自らの保身目的の言い分を公式見解とするのみ。そして訴訟を起こすも結局敗訴してしまうのである。

 現地残留を決めた密約は、結局陸軍上層部のどこまでが知っていたのか。また現実問題として残留した者がいることを、第一復員省(敗戦後に陸軍省を改組)はどこまで掴んでいたのか。どこかに残留将兵を救う手立てはなかったのか。もう彼ら「蟻の兵隊」たちはそのほとんどが鬼籍に入られてしまったが、せめて名誉回復だけはさせてやりたいものだと思う。そのためには、まずこの事実が広く知られることが大事なのではないだらうか。

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