読書録:「悲運の大使 野村吉三郎」豊田 穣
悲運の大使 野村吉三郎
豊田 穣
講談社文庫
\699
1995年6月15日 第1刷発行
2012年9月15日読了
1941年12月8日の日米開戦前、駐米日本大使としてアメリカとの絶望的な交渉の矢面に立たされていたのが、海軍の軍人でもある野村吉三郎であった。1919年のパリ講和会議や1921年のワシントン軍縮会議に同行し、1939年の阿部内閣では外相をも経験した野村は、海軍きっての欧米通のひとりとして、また時のアメリカ大統領ルーズベルトと旧知の間柄であるという点を買われ、1941年1月に当時の外相・松岡洋右の推薦により駐米全権大使に任ぜられワシントンに赴く。日米開戦を避けるべく必死の交渉に当たる野村であったが、政府からは重要な情報(開戦に傾いていく政府の方針、御前会議の決定事項、軍の動向など)を知らされず、交渉相手のアメリカは日本の外務省が使っていた暗号を解読していたため日本側の手の内を先に知っており、そのため野村の努力もむなしく開戦へと突き進んでいくことになるのである。その歴史の荒波に野村ひとりが抗ったところで、もはやどうにもできるわけもないのであった。
まぁ考えようによっては、外務省の暗号が解読されていたわけであるから、開戦に向けた動きを電文により逐一野村に伝えていたならそれはアメリカにも筒抜けだったわけで、そうなっていたらこの交渉の行方はどうなっていたのだらうか、と考えるとそれはそれで興味深いのだけれども。
それはともかく、著者は「真珠湾攻撃陰謀説」に囚われていたようで、作品もそれを前提に書かれている。この件についてはワタシはどうにもよく判らないので論評は控えるが、確かにそうとでも思わないと元海軍軍人の著者としては腑に落ちないのだらうなぁ、と思わなくもない。開戦前の軍の動きについても、「開戦に積極的な陸軍に引きずられ、どうせ開戦するなら石油がジリ貧になる前にしなければと焦った海軍が仕方なく賛成した」という立場であるが、これも元海軍軍人としてはそう思いたくもなるだらう。実際には海軍内部にだって強硬論者は多数いて、結局は彼らが主導権を握ったからに他ならない訳だったんだけどね。
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