@nifty:NEWS@nifty:曲技訓練中に墜落・兵庫(共同通信).
21日午前11時20分ごろ、兵庫県豊岡市岩井のコウノトリ但馬空港でアクロバット飛行の訓練中の1人乗り軽飛行機が滑走路脇の草地に墜落、前部が大破した。パイロットで茨城県小川町、有限会社「エアロック」所属の岩崎貴弘さん(53)が全身を強く打ち同市内の病院に運ばれたが、約1時間半後に死亡した。飛行機は曲技飛行用の米国製複葉機「ピッツ式S―2C型」。別の1機と空港上空を飛んでいた。
[共同通信社:2005年04月21日 13時45分]
今日も昼メシを食いながら、いつものようにお昼の犬あっち行けニュースを見てました。ただいま入りましたニュースです、とアナウンサーが前置きして「但馬空港で小型機が墜落しました」と原稿を読み始めました。“但馬かぁ・・・ロックだったらやだよなぁ”と思いつつ画面を見ていると、見慣れた赤いラダーの白い飛行機がひしゃげてました。ワタシは「ロックぢゃねぇか・・・」と呟いたきり、しばらく箸を動かすことができませんでした。
2002年からは開催されなくなってしまったNAF厚木オープンハウスですが、1992年から2000年までは「WINGS」というタイトルで、アメリカのエアショーをそのまま日本に持ち込んだような雰囲気でハデハデに開催されていました(2001年は“WINGS&祭”というタイトルでフライトなし)。そして1993年4月24日と25日の両日に行われた“WINGS'93”で、ワタシはショーン・タッカーのフライトを初めて目の当たりにしたのでした。飛行機の飛ぶ原理を無視したとしか思えないような、破天荒な飛びっぷりに文字通りぶっ飛んだモンです。それまで見たことのあった民間小型機のデモフライトとはまるで別モノで、まさにアメリカンアクロの真髄を見せつけられたのでした。
それから3年後の1996年、空自を退官した一人の日本人パイロットがそのショーン・タッカーに師事してアメリカのエアショーライセンス取得を目指しているという話を聞きました。その人がロック岩崎さんでした(以後“ロック”と呼びます)。ロックはその年の3月にライセンスを取得、8月には日本で「エアロック・エアロバティックチーム」を発足させました。そして11月、和歌山県南紀白浜空港旧滑走路で開催された日本航空協会主催「スカイレジャージャパン'96」で正式に日本デビューを飾ったのです。
いったいどんな飛びっぷりなんだろうと思いつつ、97年はロックの参加した航空祭に行くことがなく、98年10月25日の空自百里基地航空祭でようやく見ることができました。軽快な音楽とDJに乗って空を縦横無尽に駆け回るそのフライトは、今まで見てきた日本人アクロパイロットのそれとは明らかに違うものでした。また機上から観客に語りかけるというスタイルも新鮮で、観客を惹きつけ飽きさせない工夫が随所に見て取れました。日本では航空祭といえばほぼ自衛隊基地のそれと決まっていて、内容は戦闘機などの飛行と救難展示、そしてブルーインパルスで〆、という言ってみれば『自衛官が飛ぶのを見せてもらう』的ワンパターンなものばかりだったのですが、ロックの登場でようやくそこに民間人によるエアショー的要素が加わったのです。WINGSで本場アメリカのエアショーの一端を知ることができた幸運な人たちは、ようやくそのワクワク感をほんの少しでも取り戻せたのかもしれません。
その後は年に1,2度ロックのフライトを見ることができました。機体とパイロットを増やして2機態勢になった2002年シーズンは、7月28日の空自松島基地航空祭で見ましたが、演技の間の妙な間(ま)がなくなってスピーディになり、2機による交差課目も追加されてかなり面白くなったものです。もっとも翌年にはまたロックひとりだけになってしまったのですが、昨シーズン後半からは再び2機態勢で素晴らしい演技を各地で見せてくれていました。
せっかくサンダーバーズが来日したのに、雨に祟られたばかりでなく駐車場を巡る混乱が語りぐさになってしまった昨年9月26日の空自百里基地航空祭。雨でフライトキャンセルとなったサンダーバーズとブルーインパルスを後目に、1430頃のほんの少しの雨の止み間を突いて唯一アクロを行ったのがロックでした。せっかく来てくれたお客さんを手ぶらで帰すわけにはいかない、というロックの意地だったのでせうか。もう帰ろうと思っていたので駐車場からロックの演技を見ていたワタシは、低い雨雲の底を掠めるように飛ぶロックの、飛ぶことに対する情熱をひしひしと感じたものでした。
今年もエアショーシーズンが始まりました。今年はどこで見られるか、楽しみにしていた矢先の今日のニュースです。もうピッツスペシャルを駆って青空を駆け回るロックの姿は見られません。ロックのショーの始まりは高空から背面姿勢のままスピンしながら降下してくる「ロックンロール」という荒技。しかしロックの魂は今日、そのまま二度と帰ることのない空の遙か高みへと昇っていってしまいました。
ロックはワタシ達に素晴らしいショーを見せてくれました。これからも、飛行機を愛する者たちがロックを忘れることはないでせう。どうぞ安らかに。さようなら。
(写真は2002年松島基地航空祭に於いて、演技終了後に2番機パイロットのノブとハイタッチを交わすロック岩崎。背後に写っている機体はロックと共に天に昇ったピッツS-2C(JA22AR))
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